<経営者は徳で治めよ 3>
経営トップの権威主義は、一見、表面上では社内統一が保たれているように見える。実はそれは錯覚である。組織は内部から、知らず知らずに、すでに腐り始めていると認識すべきだろう。権力に逆らい、正しいことをしようとする社員、組織にそぐわない社員を更迭し、左遷を行なう。こんな組織では、最終的にはどんな社員が残るか。権力に媚びへつらう人間ばかりで、自らの行動が社会正義であるか、道義に悖るかどうかの判断基準が持てず、上役の顔色ばかり見て動く人間だけが残る。そうした組織の脆弱さがどこにも見受けられる。積水ハウスにもその一端が見受けられるのではなかろうか。
人間は弱さを持った生き物で、組織を成しているのはその「弱い人間」である。経営トップは会社のなかで好きなことができる。トップも人間、嫌なことには避けたいし聞きたくないだろう。取り巻きは好きなことをさせてお世辞だけ言ってくれて、挙句には裸の王様に祭り上げられて、巷では笑い物にされている。そのような無様なことにならないためには、甘い言葉に乗らず、一番イヤなことから仕事をすることだ。高い志があれば、必ずついてくるはずである。トップの私利私欲を排した仕事への情熱、高い志、理念を唱えるなら、社員は共感し、万難を排してトップについていくことだろう。
トップは仕事の能力だけでなく、世界観、歴史観、社会観を磨いて、しっかりとした人間社会の尺度を持ち、揺らぐことのない理想を持っていることが大事である。決して自分の名誉欲、金銭欲であったりしてはいけない。客観的に、評価される理想、高い志を持ったトップなら、会社の理念が浸透しトップの目指すところは達成される。
近年、時代の変革は激しい。イタリア映画の巨匠・ビスコンティ監督の描いた「山猫」に、「変わらずに生き残るためには、変わらねばならない」というセリフがある。舞台となっている19世紀のシチリアの衰退する貴族の姿を描いており、どこか現在の日本の企業に似ている。積水ハウスも例外ではない。
トップの経営能力もなく、時代を察知する能力もなければ変わることもしなければ、時代の変化に対応できず、静かに栄華に幕を閉じた貴族のように、没落の道しか残っていない。積水ハウスにこの兆候の一端もなきことを祈る。
【野口 孫子】
※これは積水ハウスにエールを送るものであり、誹謗中傷するものではありません。
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