<最高経営責任者CEOの役割 2>
GEのジャック・ウェルチの掲げたCEOの役割としての5項目が適合しているか、自身に振り返り、点検をすべきだろう。自分のことを言われているのではと、冷や汗をかいているトップ経営者もいるかもしれない。
10年前までは、会社の品格の高さ、社員の士気の高さ、商品、技術レベルの高さ、アフターサービスの質の高さはだれもが認めるほど定評があった積水ハウスが、いつの間にか大和ハウスの後塵を拝するようになったのも、現CEOが就任してからだ。この辺に何か原因が潜んでいる可能性もあるように思える。
老子の言葉に「最高の指導者は人々にその存在を気付かせない。その次の指導者は人々に称賛される。それに次ぐ指導者は人々に恐れられる。最悪の指導者は人々に憎まれる。ワンマン経営者は余程本人が見識を持って、謙虚さと自制心がない限り、自分にとって居心地の良い人事に走りがちである。どんなに自分は偉いと思っていても、所詮人間は弱いものだ」といったものがある。結果的に「裸の王様」となり、部下たちは褒めそやすが、心では笑っている。時代錯誤の企業の私物化、人事の専横など、独裁色を強める病弊を招きかねない。
ノブレス・オブリージュという言葉がある。これは高貴なる者に当然求められる義務であり、指導者に求められる高潔なる品性を言う。社会のいわば上座に座っているだけで、その人にノブレス・オブリージュを期待する心理力学が働くとされると言われている。最高経営責任者はそのような高貴なものと、尊敬されるものだ。しかしながら、最高経営者が卑しい話題に事欠かないようでは、その器ではないものと心得るべきだろう。
アダム・スミスの「見えざる手」に導かれ、資本主義社会では自然調和が得られ、良質の経済主体だけが生き残るという神話がある。マスコミ、内部告発によって、アンフェアな役得階層が許されなくなっている。にもかかわらず、近年、人間的資質をふるいにかけられて、超一流の企業のリーダーになったはずの人たちが、企業犯罪の指示、加担、責任逃れ、企業の私物化、人事の専横などの主役を演じている。
CEOは「意思決定」こそが、ほかの誰もができないことである。自らの意思で毅然と行うべきことである。意思決定が企業の存亡を左右する重大なことを意味している。高い志、高い理念を具現化するのがCEOの役割である。
積水ハウスの崇高な企業理念をCEOがバックボーンに持っていれば、間違った方向にはいかないものだ。
【野口 孫子】
※これは積水ハウスにエールを送るものであり、誹謗中傷するものではありません。
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