<最高経営責任者CEOの役割 6>
今こそ、積水ハウスのトップは「何としてもわが社を蘇らす」という改革へのチャレンジをする熱意が不可欠だ。改革の旗を揚げたなら、真っ先にトップが汗をかかねばならない。社員はトップの背中をジッと見ている。
経営が厳しくなったのは、金融バブルの崩壊、リーマン・ショックによる経済の崩壊、少子化高齢化による人口構造の変化、社員の働きが悪いことなどが原因と、他者に求めてはいないだろうか。一方、先代の作った崇高な経営理念には興味はない。会社の事は俺がすべて決めると思っている。しかし、他社も同条件で競争し、現実に他社に負けている。ならば、やはり結果責任はトップにあると言わざるを得ない。
ワンマン経営者のいる会社にはいい人材が集まらなくなると言われている。いや、集めないと言った方がいいかもしれない。そんな裁量の狭い考えが、ワンマン経営者以外は優秀な人材1人もいないという状況に陥るのである。人間にはスーパーマンはいない。企画、独創性、リーダーシップなど色々ある能力は秀でていても、別の能力は落ちているもの。会社は人間の集団、その総合力で競争力ができるものだ。
ワンマン社長は常に「お山の大将」であることを目指す。自分より秀でた能力ある人間を排除したがる。自分を追い落とすこともあり得るとして、早々に芽を摘む。ワンマン経営者は平平凡凡の人を集めはじめ、自分の意見を持たず、命令に従う人間を可愛がり、側近グループを形成する。その他大勢の人間はやる気をなくし、組織は退廃する。ワンマン社長の号令も、笛吹けど踊らず、結局他社に負けてしまうのである。
例をあげると、カネボウの伊藤淳二氏は1968年に社長として君臨しはじめ、経営の第一線を退いても、終身名誉会長として隠然たる力を持っていた。伊藤氏がもたらしたワンマン経営体質は温存され、04年3月、産業再生機構の支援を受ける会社に落ちぶれたのである。
97年、金融危機で破綻した日本長期信用銀行の杉浦敏介氏、日本債券信用銀行の勝田龍男氏もワンマン経営者だった。両氏とも70年前半に社長に就任し、20年以上もワンマンで君臨していた。
共通しているのは、自らの名声にこだわり、おだてられることに慣れ、耳の痛い話をする部下を遠ざけ、正確な情報が上がってこない組織を気がつかないうちに作ってしまっていたことだ。トップの座、権力のある地位に就く者は、余程気をつけなければ、会社存亡にさえかかわることになるのである。積水ハウスにその兆候があるのではと心配をしている。
【野口 孫子】
※これは積水ハウスにエールを送るものであり、誹謗中傷するものではありません。
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