柳川市議会(定数24)の改選後初となる臨時会で、議長に公明党・古賀澄雄氏が選出された。しかし、当の本人である古賀氏が議長就任に躊躇(ちゅうちょ)。引き受けるまで結局約5時間半にわたり、議会が中断するという椿事(ちんじ)が起きた。
議員や地元の政治通からの話によれば、その椿事の背景にはある事情があった。
そのまえに現市議会の勢力図を説明する。共産党1人、公明党2人、残りの21人が無所属となっているが、会派届け(10月選挙時)は「柳志会」(7人)となっていた。しかし、議長選挙を前に矢ケ部広巳氏を代表とした「柳川市民クラブ」(6人)が結成された。代表の矢ケ部市議によれば新会派をつくった経緯は以下の通り。
「元議長の田中雅美さんが議長になるという噂が市民の間に広がった。市民のなかからあの人が議長になったら市民の恥だ、という声がほとんどだった。また議員のひとりとして、田中さんを議長にしたら議会が一笑にされる。これでは駄目だという強い気持ちから自然発生的に集まり結成された」(矢ケ部氏)。
いざ、議長選の当日投票の結果は、古賀氏9票、樽見哲也氏8票、矢ケ部氏7票となった。樽見氏は議長になりたいがために「反目」していた「柳志会」(7人)と接近し8票を得た。矢ケ部氏にはグループの6人にもう1人が投じ7票。古賀氏には、本人ともうひとりの公明市議、無所属の7人が投票し9票の最高得票だった。
この結果に驚いたのが、最高得票を得た当の本人の古賀氏だ。「こんなに多くの支持は予想外」として、議会の休憩を求め、議会は中断。古賀氏および古賀氏に投票したグループの代表と、矢ケ部氏に投じたグループの代表が調整作業を続けるという事態になったのである。
そもそも最高得票を得るとは思ってもいなく、また議長を引き受ける覚悟もなかった古賀氏は、議長を辞退しようとするが、古賀氏に田中元議長が、「矢ケ部陣営にも、あんたを支えるよう説得するから」と言われ、議長になる条件として、矢ケ部氏に投票したグループの支援を挙げ、その調整で議会が中断した。
この調整で力を発揮したのが元議長の田中氏である。田中元議長は「田中雅美さんがすぐに市議会を握ったら市民から笑われる」として矢ケ部氏を議長に担ぐ動きに対して、怒ったという。「おれ(田中氏)は自分が立候補しようとは思っていない(市民感情からできない)。矢ケ部さんを担ぐ話は、なぜ自分が知らないところでやっているのか」と。その7票が公明票の2票と結び9票の最高得票を得た、というのが真相に近い話だ。
新柳川市の初代市長であった石田宝蔵氏時代には、石田氏を支持する「柳志会」と議会多数派との間で泥沼とも言うべき混迷が続いてきた。そして昨年4月に新しく金子健次市長が誕生し、「野党会派」となった「柳志会」、今回の市議選を経て結成された新会派「柳川市民クラブ」、そして田中元議長を支持するグループという具合に柳川市議会の構成も変化してきた。
市民の間では「石田市長時代からの確執を議会が一掃し、本当に市民のためになる市議会になって欲しい」との声がささやかれている。
【柳川通信員】
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