「絶滅危惧種法」が北米で成立した1973年頃の我が国といえば、4大公害裁判「(1)水俣病(56年に確認)、(2)イタイイタイ病(67年に確認)、(3)四日市ぜんそく(72年6社に慰謝料の支払い命令)、(4)新潟水俣病(68年政府が有機水銀を原因と認定)」が係争中で、67年「公害対策基本法」が制定される等、公害問題に揺れていた。
わが国におけるダム見直し論の起爆剤は、94年、米国内務省開拓局長ベアード氏の発言である。ベアード氏は「アメリカにおいては、ダムはもはや水資源開発の主たる手段では無くなった。ダム建設の時代は終わった」と語った。また、99年のエドワーズダム取り壊し時では、当時の内務大臣ブルース・バベット氏は「ダムはピラミッドと同じほど、長持ちするという迷信も、ダムと一緒に破壊された」と語った。
この頃、わが国では、ゼネコンのダム建設に係わる談合や政治家への献金問題が表面化し、ダムの建設は無駄な税金投入であり、環境破壊の元凶であるかのように報じられていた。この流れに、ベアード氏によるダム建設不要論が後押しし、2001年2月、田中康夫長野県知事は「脱ダム宣言」を発表した。わが国に「環境省」が設置されたのは、この年であった。米国でのダム不要論は、鮭の遡上(そじょう)を守るための環境運動から発したが、わが国のダム建設は、献金問題から一気に環境を破壊する無用の長物に化した。
「水を制する者は、天下を制す」の格言のもと、ダムは近代技術の証として建設され、わが国を繁栄に導いた。それなのに、ダムを建設することで水利権を得、大きな恩恵を受けたはずの利水者たちは、「ダムは必要だ」と、どうして声高に叫ばなかったのだろう。
ダムの利水には、電力、工業用水、上水道、灌漑(かんがい)用水があり、その主務省庁は、電力と工業用水は通商産業省、上水道は厚生労働省、灌漑用水は農林水産省である。注視すべきは、国土交通省が洪水(治水)と水利権を所管するも、利水者の経営団体ではないことである。
戦後のダム建設の先駆けは、電力不足を補う水力電力で、黒四ダム(63年竣工、関西電力)、一ツ瀬ダム(63年竣工、九州電力)などを筆頭に大小の水力発電用ダムが矢継ぎ早に建設された。その後、電力会社は、発電効率の高い発電を求めて、水力発電から火力発電、原子力発電へと大型発電にシフトし、近年建設している電力用ダムは揚水式発電ダム(夜間電力を有効に使用するため)で、水力発電用ダムは主流でなくなった。
工業用水は、銑鉄の圧延や化学工場などに多量の水を安価で確保する必要があるため、通商産業省の多額の補助を受けてダムに参加していた。でも、工業用水の料金は、上水道の10分の1以下と安くしなければ採算に合わないため、高料金につながるダム開発から、再利用する水使用合理化(工業用水使用量に対する回収水量の割合は現在では約8割)に水使用方法を変え、今では工業用水の新規ダムへの依存は極めて少ない。
【作者略歴】
藤井 利治(ふじい としはる) 1944年(昭和19年)9月生まれ。九州大学工学部卒業。福岡市入庁後、福岡地区水道企業団理事、下水道局長、土木局長、水道事業管理者、福岡アジア都市研究所副理事長などを歴任する。2001年、渇水と節水をテーマにした論文で、福岡市職員では初となる工学博士号を取得。著書に『水を嵩(かさ)む』(文芸社刊)がある。
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