<半分も満たない収入で贅沢三昧の国家経営>
2011年度の日本国家予算案が組まれた。追加支出はあるだろうが、それを無視したところでも支出額は92.4兆円ある。それに対する収入(税収)は40.9兆円しかない。支出に対して収入は44.3%しかないのだ。国債などの発行(借金額)は44.3兆円になる。借金頼りが47.9%になるのである。
(※11年度に関しては7.2兆円という埋蔵金の捻出に助けられた。12年度は、さほど期待できないという。12年度を11年度と同じ予算と設定して埋蔵金がゼロとするならば国債などの発行額として51.5兆円が必要。率にすると55.7%の勘定)
民主党政権は「埋蔵金、埋蔵金」と叫んでいたが、これらの大半は将来に備えた蓄え金だったのだ。それを2回の予算組で無策に浪費してしまった。最悪、消費税の大幅値上げを実行しないと12年度の予算組は不可能になるという悪夢も想定される。民主党も自民党同様、政治家たちの脳裏には財政バランスに対する感覚はまるでゼロ。ひとかけらの危機感も持ち合わせていない。
会社経営者たちのように収入に対する血みどろの苦労を知らないのである。なぜならば従来は国債を発行すれば、辻褄が合ったからだ。そして、政治家たちが増税(消費税大幅値上げ)の英断もできずに、2、3年放置してしまう可能性が高い。
そうなると国債発行額は1,000兆円にも迫る(突破するかもしれない)勢いになる。国民総生産性(国民総収入)500兆円の2倍に匹敵するのだ。財政パンクは避けられないことは明らか。戦争という非常事態による国家財政の破たんは歴史上に実例がある。ところが長年、平和に浴してきた日本が財政破たんへ転がっていくのは稀有なケースになろう。国民が平和惚けに浸っていた矢先に危機が煮詰まっていたのだ。
<国民も我が家計に置き換えて深刻に思考しろ!!>
92兆円を100万円に置き換えてみよう。誰でも50万円の収入しかないのに2倍の100万円の暮らしをすることはないだろう。50万円の不足分を補うためには、まずは預金の取り崩しを行なう。仮に500万円の預金を持っていたとするならば10カ月で使い果たす。あとは借金をするしかない。銀行から借り、そしてサラ金から借り続けても10カ月が限度だろう。
あとに残された道は自己破産の選択しかない。強盗すれば警察に捕まり、塀のなかに落ちてしまう。そんな馬鹿な暴走をする人間は皆無である。
国家財政をわかりやすく、それぞれの卑近な例に照らし合わせてみよう。ひとり当たり2万円が検討されている児童保育手当は、親にとってはありがたい手当だ。また、高齢の親が寝たきりになるとしよう。介護費の問題は、家族にとって頭痛の種になる。しかし、社会福祉の充実している日本国は最低の保証制度がある。日本国民はどこの国と比較しても高度な水準で医療・福祉・教育の各方面で守られてきた。結果として日本国家財政の借金過多を招いたのである。
これが軍事費の浪費、国民とは関係のないところでの放漫支出などによって財政破たん寸前になったのであれば、ことは簡単とも言える。荒治療(大手術)も容易であろう。複雑なのは、国民生活水準を落とすことを怖がった歴代の内閣が借金財政政策を踏襲してきたことにある。この責任転嫁の繰り延べ路線が国家を崩壊の淵に誘った。
だからこそ、借金を解消しようとするならば、国民には生活水準の悲劇的な低下に対する相当の覚悟が強いられる。政治家たちはこの厳しい現実を説く使命がある。
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