<ある同窓会の光景、つつがない老後を送るつもり>
筆者は宮崎県で進学率4、5番手にランクされる県立高校を、昭和41年に卒業した。2年、3年の2年間は国立理系進学クラスであったから同じメンバーで過ごした。我々の時代、田舎の進学希望としては「最低、国立大学に進学する」ことが前提になっていた。筆者のクラスは総勢55名(1名女性)。結果的に、国立大学に30人が進学し、うち2人が文系の道を選んだ。現在、5名が鬼籍に入っている。
11月23日、30年ぶりに宮崎で同窓会を開催した。もともとまとまりの悪いクラスであったが、それでも生存者50名中、20名が参加した(6名は住所不明。44人に案内が届いて20名が参加したことになる)。83歳の恩師も出席してくれて、参加者たちは非常に喜んだ。まとまりの悪い権化と言われていた人物は、早期退職をして、年金生活者として東京に居を構えている。挨拶での弁が彼らしい。「子供たちを育て上げて気持ちに余裕が出てきた。こうなると故郷が懐かしくなってきた。クラス会には必ず顔を出す」と。
時代背景もあり、海外赴任をした連中が6名ほどいた。中国で12年間、工場で指導をしていた同窓は6年前ガンで奥さんを亡くした。最近、27歳の中国人と再婚して宮崎に連れて帰ってきた。筆者の幼稚園からの幼馴染みは神戸に住んでいる。サラリーマンから足を洗い、地元の野球チームでプレー三昧だ。「野球少年」だった男が「野球老人」として腕を振るっているのは羨ましい。連日、碁会所で時間を過ごす者もいる。趣味一途で生きるのも退屈な感じはするが―。
それでも大半は、64歳まで業務委託契約などで働くようだ。あと2年もすると、大半が年金生活者になってしまう。50名のうち、医者や経営している事業主が8名いる。この連中は健康が許す限り、一生現役を貫くであろう。存命50人中、教員や役所などの公務員になったのも9名いるが、50名中8名、16%しか事業主の道を選ばなかったことになる。42名は給料取りで現役を終え、年金生活者として生涯を終えるのである。
<70代には年金満額保証が崩れる覚悟で>
企業年金は別として、50名の大半は月額24万円の厚生年金の支給を受ける資格はある。誰でもが、この月額24万円の収入を基本にした人生設計を描いているであろう。果たして設計図通りに保証されるのか。「確率は低い」と警告を発しておきたい。60歳代においては、辛うじて期待していた支給額があるだろう。70歳代はとても困難。前号で『日本丸沈没』についてレポートした。先行きを楽観する者は脳天気でしかない。
視野を広げてみよう。若手の方々は「団塊の世代は逃げ得だ」と批判している。「あの世代は老後を保証されるほど国家に貢献したのか」と批判の声も高まっている。「もう偉そうな発言はしてくれるな。我々、若者世代に干渉するな」という発言もある。団塊の世代自身にも、意識革命が迫られるだろう。「60代初めからの趣味三昧の生活スタイル貫徹が社会のガン」と糾弾を浴びる日が来るかもしれない。「希望のない若人のために厚生年金の24万円は寄付します。ですから、趣味三昧の生活を許して下さい」という世代間戦争の勃発もあり得るだろう。
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