目指すは「観光ビジネス都市」 ハウステンボスを変える経営者魂
<手を挙げる人がいない では私が行くしかない>
―今はどのくらいの日数、長崎にいらっしゃるのですか。
澤田 だいたい半分から3分の2ですね。ほとんどこちらに住んでいるようなものです。私はハウステンボスの数少ない住人の1人です。それくらいしないと、ここの再興は簡単ではないということです。
でも反面、すごく面白いというか楽しいですよ。やることがいっぱいですから。もしやることがなくなったら東京に帰ります(笑)。
―そうなった後、どのようにされていくか見通しはありますか。
澤田 私は断りきれないくらい、あちこちからいろいろなことを頼まれます。でも、とりあえずはハウステンボスの次のことはあまり考えていません。ただ、HISの世界戦略が始まったばかりですから、それは会長として後方支援しないといけません。
東京では結構忙しいですし、私のまわりからは「ハウステンボスに行くのはやめろ」と言われました。「なぜ、そんな苦労をしに行くのか」と。これで失敗したら、せっかく今までうまくいっていたのがダメになるからと、とくにHISの幹部連中なんかには心配されました。事業というのは、成功しているときは何も言われなくても、失敗した途端にいろいろ言われますからね。
まあでも、まわりに何を言われようが別に構いません。これまで再生も含めた多くの事業を手掛けてきましたが、久々になかなかの難問だから、面白い。今まで私が難問だと思ったのは、スカイマークエアラインを飛ばしたときですね。あれを黒字にするのは難問でした。でも、ちゃんと黒字にして譲りました。最初にオーストラリアにホテルをつくったのも、ちょっとは難問でしたね。HISとしては初めての海外進出でしたから。
それから証券会社、これは最も難問でした。山一証券が潰れたとき、その子会社の証券会社を引き受けてくれと言われたのがきっかけで、この会社は上場までさせました。モンゴルのハーン銀行、これはモンゴル一の銀行になりました。ほかにも、熊本の九州産交は若手を送って再建し、しなの鉄道も若手を送って黒字化させました。
でも、私はそういうことを仕事としていますから。今回は久々の難問だから、あえて自らチャレンジしてみたいなと思いました。うちの若手でやりたいかと聞いても、誰も手を挙げなかった。九州でもやる人がいなかった。「では私が行くしかない」と。
でも、もう少し難しい問題だと思ったのですが、それほどでもないかなと。ただし、甘く見ているつもりもありません。あと2、3年である程度の結果を出し、お客さまに喜んでいただいて、利益がきちんと出て、若手の経営者が育てば、私の役割は終わりです。
―相当、再建に入れ込んでいらっしゃるのですね。
澤田 というよりは、気合いを入れてやらないと。ビジネスはやっぱり気合いを入れて、もちろんリフレッシュするとき、遊ぶときはしっかりそうする。何もかも中途半端にしてはダメです。私だって、たまにはめげることもありますよ。
【児玉崇・大根田康介】
<プロフィール>
澤田 秀雄(さわだ ひでお)
1951年、大阪府生まれ。73年に旧西ドイツ・マインツ大学経済学部に留学。在学中に世界50カ国以上を旅行する。帰国後の80年、新宿にて旅行会社(現:(株)エイチ・アイ・エス)を開業。95年3月店頭公開。96年、オーストラリアに「The Watermark Hotel Gold Coast」をオープン、会長に就任。また同年、スカイマークエアラインズ(株)(現:スカイマーク(株))を設立し、98年に国内航空業界への新規参入を果たす。99年、協立証券(株)の株式を取得し、エイチ・アイ・エス協立証券(株)(現:エイチ・エス証券(株))の代表取締役社長に就任。03年にはモンゴルAG銀行(現:ハーン銀行)の取締役会長に就任。04年、エイチ・エス証券(株)を大証ヘラクレスに上場させる。同年、(株)エイチ・アイ・エスは東証一部に上場。現在は澤田ホールディングス(株)の代表取締役社長、(株)エイチ・アイ・エスの取締役会長の他、経団連理事、経済同友会幹事、アジア経営者連合会理事長も務め、10年4月ハウステンボス(株)代表取締役社長に就任。
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