2010年12月7日、戦後最年少市長として元民放アナウンサーの高島宗一郎氏(36)が、第35代福岡市長に就任した。市長選のときから『アジアのリーダー都市を目指す』と訴え続けてきた高島氏。市長の椅子に座ったからこそ見えるものもある。今回、高島市長に対し、都市戦略の具体的なプランとそれを実行するための市組織運営などについて、独占インタビューを行なった。若い市長が描いていく福岡市の未来とは?
<今あるものを活かす広報戦略>
―まず、市長に就任されてから現実とのギャップをどう感じているかをおうかがいしたい。先日、私は、台湾の高雄市に行きました。人口150万の都市ですから、人口146万の福岡市と比べてさほど差はないかと思いましたが面積は半分。しかし、台湾の物流拠点である港に停泊している船の数は、博多港の100倍はあろうかと感じました。市長は、どのようなかたちで『リーダー都市』を目指すのでしょうか。
高島宗一郎 福岡市長(以下、高島市長) 福岡市は、実はすばらしいものがたくさんあるのに発信されていません。文化にしても、知の集積もあり、技術や食文化もたくさんありますが、それがひとつになっていない。ひとつには、これらを分野ごとにまとめて戦略的に外に向けて発信していく、という作業が「今あるものを活かす」というところで重要だと捉えています。
もうひとつは、『人と環境と都市の調和がとれたまち』です。これからは経済発展だけで計る時代ではなくなったと思います。バランスのとれたまちづくりがしたい。選挙中に、いろんな方から「安心・安全なまちにしてほしい」「暮らしやすいまちにしてほしい」という声を聞きました。私も"それしかない"と思うのです。そのためには、経済も発展しなければならない、福祉では"こどもも安全でお年寄りも安心して暮らせるまちづくり"が必要です。「そういうバランスのとれたまちを目指そうとしているほかのところがあるのか」と、アジアや世界へ目をやれば、経済のほうに集中しているのが現状です。そこで世界のなかで福岡市が、まず率先して行なっていきたい。しかも、山あり海あり都心部ありのコンパクトシティで、ひとつのモデルを作り上げて発信できるのではないかと考えています。
―そういったことを広報戦略室で行なっていくというわけですね。
高島市長 ええ。まずは広報戦略準備室で走り出し、だんだん広げていきたいと考えています。今は、財政が厳しいなかで大きなモノを作る時代ではありません。『ユニバーサル・フィールド』という考え方があります。それは、『バリア・フリー』でいうところのバリアがあったとしてもそこに住む人が心から「May I help you?(ちょっとお手伝いしましょうか?)」と言えるような考え方です。困っている人をお手伝いするおもてなしの気持ち、それを教育の段階から作っていけば、お金をかけずともいい。これから人類が―、そういうと大げさかもしれませんが、アジア、世界の人々が向かうべき方向や心のあり方について、福岡市の規模なら、いろんなことにチャレンジし、発信できると思っています。
<プロフィール>
高島 宗一郎 (たかしま そういちろう)
1974年(昭和49年)11月1日生まれ。93年、大分舞鶴高校卒。97年、獨協大学法学部卒。97年、九州朝日放送株式会社入社。2010年10月、同社を退社し、11月14日投開票の福岡市長選挙に立候補。20万9,532票を獲得し当選。12月7日、第35代福岡市長に就任した。
※1高島市長の「高」ははしごだか。
※2インタビューの文章は、主なやりとりについて内容を整理したものです。
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