平成20年5~6月「もう1年間、受注がないそうですが」
<札幌土地の融資延長>
DKホールディングスは前年まで主要政令指定都市への展開を戦略とし、平成13年の東京を皮切りに名古屋、大阪、鹿児島、札幌と開発エリアの拡大を図っていった。本社所在地の福岡では、不動産販売売上の大部分を個人富裕層向けの賃貸マンション1棟売りで確保していたのが、それが徐々にファンド向けの比重を高めていっている状況であった。本社以外の各都市では、東京で進出当初、個人向けの物件を一部開発したほかは、ほとんどがファンド向け物件であった。これには、ファンドからの需要が好調だったからであるのはもちろんだが、新規参入する市場で、いきなり地域の個人富裕層の市場に参入するのが難しいという現実も関係していた。
当初から事務所を出店すると、会社の販売管理費が大幅に増加するが、反面、出店してから物件情報を収集し、条件のいい物件を仕入れ、そこに建物を建てて商品として完成させ、それを販売して収益が計上されるまで、約2年のタイムラグが生じる。このため、DKホールディングスでは、地方の進出先については、まず担当者の出張により開発案件を確保し、その後、最初の物件が竣工する頃を見計らって事務所を出店する、という方法をとっていた。
そのなかでも、札幌は最後の進出エリアであった。前年に、出張方式で情報を収集し、中央のデベロッパーが造りかけた賃貸マンションを仕入れ首尾よく完成させて、ファンドに売却した。これに意を得てDKホールディングスは、平成19年に札幌営業所を開設し、その後、郵政民営化絡みで売りに出された札幌の簡保健診センターを10数億円で競り落とした。
この土地にオフィスビルを建築し、出来上がりで30億円台の商品として、欧州系の不動産ファンドに売却する、というのが意図であった。
この土地の仕入資金は、都銀の融資で確保した。あくまでも開発型証券化に移行するまでのつなぎ資金という条件ではあったが、融資条件は非常によかった。一方で競合条件を出してきた他の都銀は、融資条件は少し不利だが「竣工までの資金を出します」という提案であった。当該都銀と東京支社長の岩倉専務が懇意であり、岩倉専務も当物件は証券化して開発するつもりであったので、是非、前者の都銀からの融資を受けたいということであった。しかし、平成19年8月に仕入を実行した後、売却先を確定できず、平成19年が暮れる頃には不動産への融資がかなり厳しくなり、平成20年3月末までの証券化は難しくなりつつあった。
〔登場者名はすべて仮称〕
(つづく)
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