<病を越えて 志が強くなる>
早瀬 小野さんのお話をうかがっていると、本物の味にこだわっているように感じられます。先ほど言いましたが、私は体を壊して会社員を辞めました。けれども、体を壊したことによって、本物の食を求めるようになったのです。うまいものとは、どういうものかということを考えるに、昭和30年代の食こそ自分の理想であるというところに行き着きました。
小野 その頃の味とはどういうものだったのですか。
早瀬 当時は経済的な観点から見る生産技術が、今よりも低かったのです。野菜を、季節を無視して早く大きくしたり、ニワトリを早く出荷できるようにしたりといったことが、未熟でした。ところが未熟がゆえに、それぞれの生態に合った、本来の味を自然と引き出すことにつながっていたのです。今では、多くの食材から、それそのものの味を感じることができなくなってきているように思います。私は素材本当の味にこだわっている生産者でありたいと思いますし、この仕事をやっていると同じ思いの方の情報も集まってきます。そういう本当の味を、つまり昭和30年代の味を復活させたいのです。
小野 実は私も創業して間もない頃、大きな病気を患いました。今もその治療のために週に2回病院に通っています。病気を患ったことで、これまでできていたことができなくなってきました。そんな中で感じているのが、早瀬さんがおっしゃることと同じく、本当の食を提供したいという思いです。これは経営者としてはやりにくいことですので、私が経営から退いた後に個人としてやりたいと思っています。独立した当初の思いを完全に再現するお店で、こだわりぬいた食べ物を提供したいですね。
早瀬 そのときにはうちのニワトリも使ってください(笑)。私は自分で料理屋を出そうということよりも、うまいものが食べたいという思いのほうが強いんです。本当の味が食べられるお店が増えてくれるのなら、私は通いますよ(笑)。
小野 経営者としての夢は、地域の方と一緒にお店と地域を盛り上げていくことです。けれども経営者は、事業の継続と利益の確保という大きな責任も持っています。ですから経営者としては、残念ながらできないこともあるのです。個人の事業ならば、思い描いた通りにできると思います。かつて修行をさせていただいた福島のラーメン店は、お客さまを1時間並ばせて、さらに店内で1時間待たせるようなお店でした。みんな、食べるまではむっとした顔をしています。それが食べ終わるとすばらしい笑顔になるのです。経営的に言えば、「効率化して回転率を上げるにはどうすればいいか」、ということを考えなくてはならないのでしょうが、それでは本物の味というのは近づくことはできても、そのものにはなれません。私の個人の夢は、その本物の味を提供することなのです。
早瀬 作り手側のこだわりや志というのは、料理を通じてお客さまに必ず伝わります。そして、うまいものには必ず人は集まってきます。人が集まると、地域の活性につながります。これからも、本物にこだわり続ける姿勢を持ち続けたいですね。
【文・構成:柳 茂嘉】
<プロフィール>
小野孝(おの・さとし)氏
昭和47年奈良県生まれ。大阪吉兆で日本料理を修業し、先輩弟子の独立開業を手伝うために博多へ。25歳のときに自身も独立、中央区舞鶴に「DINER'S ONO」を開店させる。以後、さまざまな形態の飲食店を展開し、2010年3月には旅館「僧伽小野」を糸島でオープンさせた。
早瀬憲太郎(はやせ・けんたろう)氏
昭和22年岐阜県生まれ。東京でサラリーマンを経験した後、幼い頃からの夢だった養鶏家になるため糸島へ。独自の養鶏技術で、黄身がつまめる卵「つまんでご卵(らん)」を開発。生産が追いつかないほどの好評を博す。
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