<義理の兄たちが逝く>
母の33回忌の1年前、平成15年に長女の夫・義兄が肺がんで亡くなった。81歳である。半年前までは自転車を乗り回す元気さがあったから周囲はこの訃報に驚いた。「80歳を過ぎると誰しもが死と背中合わせで生きているのだ」と痛感した。80歳を過ぎれば朝、目を覚ましたときには「今日もおかげで生きている」という感謝の祈りを自然と行なえるようになるのであろう。それで83歳の長女は8年間、宮崎で未亡人暮らしである。
次女の旦那は母の33回忌に癌の手術を終えて列席した。当時の写真をみるとスポーツマンであった義兄のやつれが痛々しかった。残念ながら半年後に69歳という若さで鬼籍に入った。器用に仕事と趣味を両立させたライフスタイルには身内として誇らしかった。義兄の実父も短命であったから遺伝的な要素もあったのであろうか。「あと10年の寿命が欲しかった」というのが次女の本音であった。
<父の33回忌の席で>
そして1月16日に父の33回忌の供養を専修寺で行なった。参列者は兄弟のみと孫たちである。お寺の住職は筆者のすぐ上の兄貴と同級生、また父との付き合いもあった。父の人柄のことも熟知している。故人を偲ぶ講話はやりづらかったに違いない。まずはつつがなく法要は終わった。「ここまで5人の兄弟がそれぞれに素晴らしい伴侶に恵まれて家族を形成したことをあの世で父・母とも喜んでいるだろう」と想い浸っていた。
突然、長女が口を開いた。「私は100歳まで生きたいと思っているの。だけどこれだけ長寿を全うすると苦しい運命が待ち構えているよね。年下の貴方たちを送りだすような悲痛さを味わいたくないし。やはり年順にあの世の三途の川を渡ったほうがハッピーよ」。これを耳にしてあらためて思い知らされた。「こんどは兄弟を順番で送りだす覚悟が必要になってくるのだな」と再認識した。4人の兄弟の顔を神妙に眺めまわしたのである。
たしかに旧家族に属する筆者の場合は両親の年齢が高かった。だから母とは40年前に、父には33年前に死別した。段々と両親への想いの記憶が薄れてくる。ところが新家族にあたる同級の友人たちはこの10年以内での辛い別れを経験している。加えること両親が85歳を超えているのであれば存命されているケースは珍しくない。本当に羨ましい。田舎に帰ればまだ友人の両親で片親だけであれば15%は存命されている。
そしてこちら旧家族の我々は40年(母との別れ)、33年(父との別れ)を過ぎてみると兄弟の別れを覚悟する時期に差し掛かってきた。『送り火を焚く側』から『送られる身』になる立場になったのだ。我々の身に輪廻の順番が到達したのである。兄弟それぞれに子供たちも独立して幸せな営みを行なっている。子供たちがそれなりの葬儀送り出しはしてくれるであろう。長女の指摘した通りに年順に事が運べばハッピーなのだが―。輪廻の自分の番を揺るぎない気持で対処できる人はどれだけいるだろうか。
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