<600枚の詫び状に1,000枚の年賀状>
2カ月ぶりにとみ子さんに会った。緊張から解放された、昔のさわやかな彼女に戻っていた。
「さあ、どうするの? 今すぐに動くのもどうかとは思うが、とりあえず4月の地方選挙までは動けないだろうが―」と切り込んだ。
「あのときは本当に醜態を見せて、ご迷惑をかけてすみませんでした」と深々と頭を下げてくれた。「ご指摘通り、私の罪滅ぼしの行脚は5月からでしょうね。正月にさまざまなことを考えさせられました」と、最近の心境を披露する。
どういうことかを説明しよう。昨年11月の終わり、とみ子さんからの「福岡市長選挙からの逃亡失態の弁明状」が筆者の元に届いた。中味は自分の愚行についての詫び状になっていたのだが、600人の関係者に送付したそうだ。戦線離脱者に手を貸すもの好きはいない。600人一人ひとりに思いをめぐらせ、「期待に応えられなくて申し訳ない!」と叫びながら手書きで処理していった(これを年賀状代わりにした)。費やした時間は1週間である。
今年の正月は、静かで孤独なものになるはずだった。ところが、元旦から「ぎょっ」とする出来事に遭遇した。なんと例年よりも数が多い、1,000枚もの年賀状が届いた。例年であれば、こちら(とみ子さん)が送るのは400枚、送られてくるのは600枚という数が恒例である。今年は、通常の1.8倍に増大していたのだ。とみ子さんの本音は、「(自分は)もう忘却の存在」と諦めていたのだ。しかし、この1,000枚の年賀状に接して、あらためて自分への期待度の高さを再認識するとともに、自分の軽率さを恥じた。
「戦線逃亡するにしても、離脱記者会見を行なうのはもっての外であった。政治音痴ぶりを悔やんでも悔やみきれない」と自己嫌悪に陥った。
<女性の票を取り込めなかったのは一生の不覚>
とみ子氏が選挙公約にも謳っていたひとつに、「女性の地位向上」がある。本人自身が、女性として初めて福岡市教育長に就任したキャリアの持ち主だ。だからこそ、福岡市長になって「女性の地位向上・権利獲得」の行政政策を実行するつもりでいた。
ところが、とみ子氏自身の想いは女性陣に伝わらなかった。高島氏が立候補を表明して以降、40、50、60代の婦人層が、雪崩を打って彼の方に流れていった。この時点で、「負けた」と敗北を確信したそうだ。一方では、「自分の日頃の不徳の致すところだ」と痛感したという。
たしかに福岡においては、「博多ごりょんさん」という存在が見本になっている。「オヤジ・旦那」をサポートするだけの概念で、女性自身の自治意識に対しては希薄である。ただ女性だけでなく、福岡の男性にも自治意識があるかとは言い難い。とはいえ、このコーナーで福岡市民の自治意識論を論じても仕方がない。
女性を代表したつもりのとみ子氏陣営に圧倒的な女性票を取りこめなかったのは、まさしく本人の不徳と致すところであろう。
前代未聞の記者会見まで行なって「福岡市長選挙からの逃亡」という重い十字架を背負ったとみ子氏の行く末は、茨の道を歩くようなものだ。
だが、これでエンドというわけにはいかない。本人が「いかに罪滅ぼしの社会貢献を完遂するか」を、誰もが注目している。とみ子氏のことであるから、来たるべき時期には結着をつけるであろう。
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