ペンネーム「伊達直人」様よりいただいたご意見「市役所DNA運動の挫折のひとつ」について、作者・寺島氏からの回答を掲載いたします。
私の記事についてご意見をいただきまして、大変ありがとうございます。
ご指摘のとおり、私も、本来職員の自律的な改善運動であったDNA運動が、いつの間にか、一部で義務的な様相を呈しはじめたことを耳にしたことがあります。しかし、DNA運動の基本精神は、どこまでも行っても、D:「できる」から始めよう。N:納得できる仕事をしよう。A:遊び心を忘れずに。というものです。したがって、義務的な「やらされ感」とは、およそ相容れない運動のはずです。
その最も重要なポイントが十分に市役所の組織内に浸透していかなかったとすれば、それは大変残念でなりません。
DNA運動の推進部署がしっかりと周知を図るべきだというご意見もあるかも知れませんが、当時のDNA運動の推進部署は、少ない職員で休日も休みもなく、連日深夜までのフル稼働の状態が続いていたことを踏まえると、そのように言ってしまうのも酷なように感じます。
今までにない新しい仕組みを、市役所という大きな組織内で周知と理解を徹底させていくことの困難さを感じざるを得ません。このような側面もまた、行政改革を推進していくうえでの阻害要因のひとつであろうかと考えます。
惜しむらくは、DNA運動は、自律的に職員が「課」単位で自由な発想で議論し、考えていくことを要諦とするわけです。したがって、理解の浅い管理職がいた場合、フレキシブルに臆することなく職員が説明をすることができれば、このような誤解に基づく残念な事態も、相当数避けられたのでないかとも思っています。
「上司にモノを言うことがはばかれる」という意識こそ、減点主義に基づく人事評価の弊害のひとつではないかと感じています。
【寺島 浩幸】
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