打てば響く、底知れない響き 国を背負えば底知れない力を発揮する
<最適のポスト 環境大臣>
1月11日、環境大臣室で松本大臣に取材の機会を得た。ここでの第一印象は、「大舞台に立てば立つほど底知れない成長をする政治家である」ということだ。59歳という年は民主党のなかでは若い部類ではないが、筆者は「国を背負って働く場を得た松本大臣はこの5カ月間、20年間の代議士期間を上回る大成長をされた。どのポストよりも環境大臣ポストは水を得た魚のようにピッタリだった」と見る。
昨年9月17日、環境大臣、内閣府特命大臣(防災)に就任して以降の主な3カ月半のスケジュールを紹介してみよう。就任3カ日後にはニューヨーク国連に飛んだ。20日から26日、国連総会生物多様性ハイレベル会合に出席をしたのである。帰国後、10月9日には水俣病被害者らの意見を聴くために水俣市を初訪問した。慰霊の碑で献花し、犠牲者に祈りをささげ、被害者の方々と虚心坦懐に話し合ったことは評判になった。
10月18日から名古屋市で国連の生物多様性条約第10回締結国会議(COP10)が開幕。議長の松本龍環境相は、「美しい地球を次の世代につなげることは、各国共通の願い」と挨拶した。会議は30日まで延々と続いた。関係者の下馬評では、「各国の思惑は対立している。まとまらず決裂するだろう」というものであった。しかし、松本議長は30日夜中の1時30分まで粘り、全会一致で『名古屋議定書』を採択させた。参加者の各国要人から、「龍!!ワンダフル」という称賛の声を浴びた。20年の政治家としての歴史の過程で、最高の名誉ある夜ではなかっただろうか!!
30日は一睡もできずに、鹿児島県奄美へ直行。豪雨災害被災地の現場に飛んで、被災者支援に全力を挙げる姿勢を示す。11月23日には10月の水俣市に続き、新潟市を往訪。新潟水俣病3、4次訴訟の被害者約30名と面会して、今後のサポート体制を明確にさせた。続いて「東アジア酸性雨モニタリングネットワーク」政府間会合に出席。息つく暇もない。11月29日は、環境省主催の1年に1回開催される全国の小学校・中学生・高等学校や一般団体が「自然に親しむ活動発表会」に参加した。続く12月5日からは、メキシコ・カンクンで開催された「COP16」への出席のために太平洋をわたった。環境大臣に就任して以降の昨年3カ月半の主な行事を知るにつけても、本当に激務である。
<国家経営も視野に>
たびたび繰り返すように、この大臣就任3カ月半の期間は、松本代議士20年間の政治密度を超える充実したものではなかったか!!この期間で、松本龍という政治家は逞しくかつ雄々しく飛躍した。世界にも政治家・松本龍の名が轟き始めたようだ。
賢明な経営者の皆さまは察知されていることだろう。『環境ビジネス』は、まさしく国家間の存亡をかけた戦略ビジネスである。国によっては、『環境ビジネス』を第一級の国家戦略事項に設定している。中国も韓国も然りだ。松本龍大臣もその重要性を充分に理解して環境ビジネス戦略を構築しているところだ。筆者の願うところは、「政治家・松本龍には、国家を背負う政治家として飛翔していただきたい」ということだ。1月11日の松本龍大臣の取材を通じて、久しぶりに痛快感を味わった。
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