随所に全国初、あるいは政令市で初めてというの先進的な内容を盛り込んだ福岡市の新しい情報公開条例は、(財)行政管理研究センターの主催で平成14年7月に開催された「第25回行政管理講座」において、当時國學院大学法学部の藤原静雄教授(現筑波大学教授)によって取り上げられ、非常に高い評価を受けました。
「この条例は平成14年のものですが、現時点でだいたい考えうる手当が全てしてある条例であるという感じがしています。2条の定義のところで、3公社が入っているわけです。さらに39条・40条をご覧いただくと、特に39条の4項をご覧いただくと、協定という手続きをとって出資法人などに文書を出してもらうようにしようという仕組みがとられている。さらに40条で、一部事務組合や広域連合などの地方公共団体の組合に対しても目配りが利いているということで、現時点でのあるべき姿になっていると思います」(藤原教授)。
市当局においては、ぜひこの条例を広く市民に宣伝して、開かれた市政に向けて、大いに活用していただけるように願ってやみません。
全国でもトップクラスの水準であると評価された新しい情報公開条例が実現した背景には、当時、陣頭指揮をとっていた財務省出身の渡部晶氏の「責任はすべて自分がとる!」という強いリーダーシップがありました。ぶれることのないトップの「決意と覚悟」は、何よりも現場の職員の士気を高めます。
また、その「決意と覚悟」に呼応するように、情報公開審査会委員の有識者のみなさんも多大な時間と労力を傾注していただきました。
一方で、情報公開協定方式による第三セクターなどの情報公開制度は、市役所内部の関係部署では大きなハレーションを生みました。
当時、強い抵抗を示したのは、後に福岡市を大きく揺るがす「ケヤキ・庭石事件」の舞台となったH株式会社でした。
正確な時期は忘れましたが、たしか平成14年3月頃で、新しい情報公開条例が議会で可決される前だったと思います。H社から福岡市役所内の部屋に呼び出され、出向いたところ、15~16人の社員のみなさんがいて、「なぜ、情報公開協定を締結しなければいけないのか!わが社は市役所から独立した営利法人だ!企業秘密を公開して会社がつぶれたら市役所が責任を取れるのか!!」と激しく詰め寄られました。
私は、その激しさに戸惑いながらも、おそらく「情報公開制度は、どんな情報でも、なんでも公開しなければならない」と誤解しているのだろうと思い、個人のプライバシー情報や企業秘密などの法人の情報は、非公開情報として条例に定められているので、情報公開協定を締結しても会社の企業活動には影響は少ないことを繰り返し説明しました。しかし、なかなか納得してもらえずに、交渉は3時間以上にも及びました。
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<プロフィール>
寺島 浩幸 (てらしま ひろゆき)
福岡県立修猷館高校、福岡大学法学部法律学科を卒業。1987年に福岡市役所入庁後、総務局法制課、人事委員会任用課、情報公開室係長、市長室経営補佐係長、議会事務局法制係長などを歴任し、2010年8月退職。在職中、主に法律関係の職務に従事するとともに、市長直属の特命業務や議員提案条例の支援を担当するなど、市長部局と議会事務局の双方の中枢業務を経験。
現在は、行政書士事務所を開業して市民の身近な問題の解決をサポートするとともに、地域主権の要となる地方議会の機能強化を目指し、議員提案条例アドバイザーとしても活動中。
<主な実績>
・日本初の協定方式による第3セクターの情報公開制度の条例化
・日本初のPFI事業(タラソ福岡)の破綻再生
・日本初の「移動権(交通権)」の理念に立脚した議員提案条例の制定支援
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