―以前、山本木材産業で働いていたとうかがったのですが。
阿久根氏 私はそこで6~7年間働き、20数年前だと思いますが、インドネシアのジャンビ州に山本木材産業が合同で製材工場と合板工場を造り、そこで働いていました。山本社長が会社をたたんだ後は、同じ材木業界の別の会社で働いていました。
そんなとき、山本社長から突然電話が鳴り、「インドネシアでマングローブを植えたいと思っているけど、そのことで話をしたい」と言われました。その後、話を聞いて「やりましょう」ということから、この事業が始まったのです。
マングローブ植林事業を始めた当初から、現地で働いています。過去にインドネシアに行き、現地のことが分かっていたからです。この仕事は住民とのコミュニケーションが大事になってきますので、結局は現地のことが分かっていなければなりません。あくまでインドネシアに土地を借り、その土地で住民と一緒に育ていきますので。
コミュニケーションを取るための言語は、20数年前に1年間インドネシアに滞在していたので、徐々に対応することができました。若いときにインドネシアに行っていたから、現地の人々の気持ちが分かったのもあります。
―最初にインドネシアを見た印象は、どのようなものでしたか。
阿久根氏 この仕事をすることになる前までは、マングローブのことは知らなかったので、琉球大学熱帯生物圏研究センター教授の馬場繁幸先生のところに泊まり込みで勉強をしていました。そのとき馬場先生がおっしゃっていたのが、木を育てることの難しさです。いくらマングローブを育てきれるといっても、環境が変われば育ち方が違ってきます。ですから、現地の人たちの知識をいかに上手く使いきれるかどうかが、うまくかたちになるかどうかだと思います。
20年前はインドネシアで建築資材用の山の木を切っていた訳ですが、そのときと今では逆の立場です。マングローブを切っていた当時も、製造工場を造ったことで現地の人びとに労働の場を提供し、彼らは収入を得ることができていたのですが、今とは目の輝きが違います。
インドネシア人はよく、「日本人1人に対してインドネシア人10人で同じぐらいの労働力だ」みたいなことを言われますが、少なくともマングローブの植林に関しては日本人が負けるのではないでしょうか。それくらい、みんな一生懸命働いています。
彼らにとっても、ただ単に金銭的な収入だけではなくて、国のためなのか子どもや孫のためなのか、何か希望や夢があって、それが仕事に表れているのだと思います。それはものすごく感じます。
【文・構成:長嶋 絵美】
▼(株)ワイエルインベスト
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