九州新幹線鹿児島ルート全線開通を前に3月3日開業する「JR博多シティ」。博多の新しいランドマークは九州経済を浮揚させ、JR九州が目指す株式上場に弾みをつけるか、それとも単なる駅付帯の商業施設に止まるのか。第1弾は博多阪急の百貨店としての競争力や可能性、課題を考察してみたい。
<出だしからつまずいた核テナント誘致>
JR博多シティは計画段階からテナントリーシングでつまずいた。博多駅では1966年から百貨店の博多井筒屋が営業し、新博多駅ビルでも優先的に出店したいと要望した。しかし、九州旅客鉄道(JR九州)は 2006年、一方的に九州新幹線鹿児島ルート全線開通に合わせ、新駅ビルにふさわしい核テナントを誘致すると表明。テナント出店の話が来ると思っていた井筒屋にとっては、寝耳に水の話だった。
ただ、JR九州も大手百貨店の「高島屋」を核テナントに誘致する計画で交渉を進めたものの、高島屋は天神との競争から競合他店と同程度の売場面積を要求。これが博多井筒屋の入居を押しとどめさせるどころか、民事調停にまで発展した。結果、JR九州は「出店希望企業をすべて同列に扱う基本方針で、井筒屋との交渉を優先させる気はない」と表明し、井筒屋も「営業が継続できれば核テナントにこだわらない」と態度を軟化させた。
ところが、事態はさらに複雑化する。高島屋は希望する賃料や売場面積で折り合わなかったため、新博多駅ビルへの出店計画を撤回。井筒屋も業績不振で地元北九州での営業を強化するなどの方針転換から、出店を断念した。 JR九州は当初の思惑がはずれ、計画変更を余儀なくされた。 結局、核テナントには「阪急百貨店」を誘致し、残りは専門店街と飲食店街の構成で、メーンの顔ぶれは自前の駅ビル「アミュプラザ」と雑貨業態の「東急ハンズ」に落ち着いた。
<地方百貨店の域を出ない博多阪急>
核テナントとなった阪急百貨店(店舗名は博多阪急)は、地元関西では圧倒的な売上とブランド力を誇る高級百貨店だ。しかし、「2011年問題」と言われるJR大阪三越伊勢丹の出店、大丸梅田店の増床、そして自社「うめだ本店」の立て替えと、百貨店大戦争の当事者になっている。
それが影響したのか、昨年11月に発表された博多阪急の概要では、売場面積は約4万2,000m2とやや小ぶり。メーン顧客も「働く20代と購買意欲の高い50代前後の女性」で、インターネット放送や生活に役立つ講座などを除けば、単なる地方百貨店の域を出ない。百貨店はショッピングセンターやネット通販などとの競争にさらされ、売上減少に歯止めがかからない状況だ。さらに、ユニクロやザラなどのSPA(製造小売業)が持つ強固なビジネスモデルには太刀打ちできず、経営改革とコスト構造の見直しに迫られている。
こうした状況下で、阪急は地元大阪では規模の拡大による百貨店戦争に突入するわけで、博多阪急の位置づけをそれほど重視しているとは考えにくい。椙岡俊一H2Oリテイリング会長兼CEOは、「発見、勉強、楽しさ、ドキドキ感など、コトを売る」と、博多阪急のストアコンセプトを「暮らしの学校」と公言した。しかし、こうした考え方は80年代に西武百貨店が表明したときこそ画期的だったが、バブル崩壊後、縮小する百貨店市場において、それほどの売上効果を発揮できるとは思えない。
とくに地方百貨店は大手百貨店の再編劇で、不採算店はリストラの対象になりやすい。また、メーカーや問屋の8割程度は大手との取引で東京シフトが進み、地方店は仕入れ商品不足で閉店を余儀なくされている。博多阪急にとっては厳しい船出と言えそうだ。
【釼 英雄】
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