今、中国の地方都市の中でも注目されている都市のひとつ、安徽省の省都・合肥市。その合肥市の可能性に早くから目をつけ、30年前に友好都市を結んだのが福岡県久留米市だ。久留米市と合肥市、海を隔てた両都市の交流の歴史を紹介する。
両都市が友好都市を締結したのは1980年5月12日だ。去年、節目の30周年を迎え、去年10月には石橋文化ホールで両国の芸術を披露しあう盛大なセレモニーがおこなわれた。文化センター内では植樹式があり、友好の証として、久留米市の市木である「久留米つばき」と合肥市の市木である「タイサンボク」が植えられた。その式典では、久留米市の楢原和則市長は「両市が相互に理解を深め、東アジア大交流時代の先端を担いたい」と述べている。
そもそも久留米市は1970年代の後半から中国と交流をおこない、大いに国際化を進めるとの方針を掲げていた。そして、友好都市を結べそうな都市を模索していた。その甲斐あってか中日中国大使館も久留米市と都市形態が似通った中国の都市を探すのに尽力し、安徽省・合肥市が友好都市候補として浮上したのだ。理由は、合肥市が大河肥水のほとりに位置し、古くからの文化を誇っていることや、農業生産も盛んであることなど、都市形態が似通っているということからだったという。
これまで合肥市、久留米市とともに多くの市民が往来を重ね、友好を深めてきている。その交流は行政・教育・文化・経済など、多くの分野に及んでいるが、なかでも行政の交流としては、91年の友好都市10周年時に、合肥・久留米友好美術館を合肥市に建設したことが挙げられる。費用は久留米市民の寄付金などをあてている。また、2000年には、久留米市中央公園に、東屋と石橋を建設・寄贈されている。
青少年の交流事業は98年から毎年行なわれている。毎年、夏休みの時期には、両市の中学生が相互訪問するホームステイをしながら、両市の学校間で異文化交流を行っている。両市の友好大使事業として、これまでには、久留米市からは123人、合肥市からは156人の中学生が行き来している。2005年には、久留米大学経済学部と合肥学院大学経済学部との間で、国際交流協議書が締結され、共同研究や学術交流を進めている。
【杉本 尚大】
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