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バイオの寵児「林原」がのめり込んだ不動産事業(下)
倒産を追う
2011年2月 1日 08:00

<力を入れた不動産事業>

 戦後、日本一の水あめ会社として大成功した一郎氏のもとには、再建話が持ち込まれた。グループに製紙、ホテル、倉庫など多様な企業群があったのは、すべて一郎氏が再建を引き受けた会社だ。巨万の富を手にした一郎氏は、次々と不動産を購入していった。岡山駅前の広大な土地は備前岡山藩藩主だった池田家から買った。林原美術館に展示されている美術品も池田家から購入したものだ。一郎氏は1961年4月、52歳の若さで逝去。一郎氏が残した莫大な遺産を、息子の健氏は研究開発費につぎ込んだのである。

 林原は非上場を貫いている同族企業。健氏はグループのホームページのなかで「10年、20年という長期間の研究開発は『家業』として成り立っている事業体でなければできない」と強調している。逆にいえば、研究成果が果実をもたらすまでには長期間かかるから、研究開発だけではメシが食えないということである。

京都センチュリーホテル 安定した収益を確保するために取り組んだのが不動産事業である。実弟の靖専務が担った。健社長は正午前に出社、2時には退社し、後はバイオ研究に没頭する。実際の経営を仕切ってきたのは靖専務である。一郎氏の研究者の特質を長男の健氏が、事業家の性格を弟の靖氏が受け継いだ。靖氏は、父親が残した岡山駅前の広大な土地を活用して不動産事業に注力した。時代も味方し、地価は右肩上がりの上昇を続け、この土地がもつ膨大な含み益によっていくらでも資金を調達できた。81年にはJR京都駅から1分の一等地に高級ホテル「京都センチュリーホテル」を開業。京都・嵐山ではホテル嵐亭を経営。いずれも一郎氏が買っていた土地だ。近年はJR京都駅前の再開発に乗り出していた。

 バブルの時期には、東京・新宿歌舞伎町の裏通りに、いかにもバブリーなガラス張りの構造むきだしのビルを建設。「バイオ会社が、なんで風俗街の歌舞伎町にビルを持つ必要があるのか」と驚かせたことがある。歌舞伎町プロジェクトと名付けた5番目のビルだ。極め付けは、02年に発表した「ザ・ハヤシバラシティ」構想である。元藩主の池田家から購入したJR岡山駅前に所有する5万m2の所有地に「世界の名所になるような近未来都市をつくる」と発表。自然博物館や美術館、百貨店、ホテル、高層マンションを09年にオープンするとぶち上げた。自然博物館の目玉にするため、90年代からモンゴル・ゴビ砂漠で恐竜の化石を発掘する調査団を派遣したほど。

 しかし、ハヤシバラシティ構想は頓挫した。地価が下落し、担保割れを起こして資金の流れはストップ。これで万事休す。不動産事業で手を広げすぎたことが経営破綻の原因だ。

<林原グループ解体へ>

 林原グループの再建は、メインバンクの中国銀行(岡山市)主導で進められる。そもそも今回の破綻の引き金となったのは、林原が中国銀行に対して何の断りもなく、「京都センチュリーホテル」を中国資本へ売却したことにあるとも言われている(⇒関連記事)

 林原、太陽殖産(不動産会社)、林原生物化学研究所の林原グループ3社は中国銀行の株式の10.67%を保有する筆頭株主(10年9月末現在)。林原グループの負債総額1,400億円のうち、同グループへの中国銀行の融資額は447億円とダントツだ。

 再建計画では、天然甘味料など以外の不動産事業やホテル事業はすべて撤退。グループの解体だ。早晩、会社ごと売却され、トレハロース専業メーカーになるだろう。とどのつまり、林健、靖兄弟が父親の莫大な遺産を食い潰したというのが実情であった。

(了)

【特別取材班】

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破綻した岡山の老舗企業「林原」、オーナー逮捕に進むのか?(1)

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