名島産業建設 於保政美社長
<不運の来襲を蹴飛ばしてきたが―>
再生材『N-ライト』を開発してスーパーゼネコンからの注文が殺到するまでにはどれだけの労苦を費やしたことだろうか。凡人ではあれば数十回もギブアップしていたに違いない。お国の環境庁(現在の環境省)からはお墨付きを頂いたのだが、福岡県、福岡市の窓口担当役人達から妨害を受けた。その度に自ら理論武装して反撃に転じた。この不屈の闘争精神には頭が下がる。
だがやはり於保社長も人の子だ。ストレスから糖尿病を悪化させたこともあった。九大元岡キャンパス横の社有地で栽培した朝鮮ニンジンを服用して病気を撃退したこともあった。すべて自ら窮地を打開しないと納得できない性分なのである。
名島産業建設が万年資金窮迫になったのは自前の経営失敗によるものではない。心許していたある知人に不動産担保提供をしたことに始まる。この友人が経営破たんして残した借金を背負う形になったのである。ここから資金繰りに追いまくれ始めたのだ。売上がある程度確保されている間はどうにか回していける。だが下記に記してあるように近年の業績は下降線を辿る一方であった。前期、2010年12月期は年商5億円を切ったのではないか。これでは資金ショートは時間の問題であったのだ。
さらに福間町(現在の福津市)との裁判闘争には膨大なエネルギーを消耗させてしまった。同社は汚泥の最終処分場を福間町に設置していた。何ひとつ住民に迷惑をかけない設備を行なってきた。それにも関わらず町からこの最終処分場営業ストップの訴訟をかけられてきたのである。争いは最高裁にまで及び敗訴した。しかし、判決は「最終処分場としての稼働をするな」というものである。中間処理業務としては許可されているのだから、現在まで稼働していたのである。この争いにおいても於保社長は強靭の意志を貫いた。企業防衛の執念は鬼神に迫るものであった。
<従業員の温情に一涙する>
同社長の企業防衛の執念が萎えてきたのは家族間の結束の乱れである。於保社長は1月で72歳になった。当然、身内に事業のバトンタッチをするプログラムを設定していた。「だが、資金切迫の経営状態のなかで譲るわけにはいかない」という義務感に拘束されてきた。結果として事業継承のタイミングを逸してしまった。今回の資金繰りの支障の原因も家族間の反目にあったようだ。これまでも幾度か不渡り寸前の事態を惹起していたが、同氏は土俵際での二枚、三枚腰を発揮して凌いできたこともあった。今回だけは於保社長の動きに精彩を欠いていたのは事業存続の目途に自信がなかったからではないか。冷たい言い回しを活用するならば「運尽き果たした」ということであろう。
最後に同社長の思いを紹介しておく。「今年から産業廃棄物処理法が厳しく施行されていくことになる。悪辣業者が是正改善をできずに倒産してしまえば税金で処理するような最悪なケースが予想される。これは私が、永年にわたって警告してきたことだ。この一点だけは悔いが残る。ただ嬉しいこというか、涙が出ることがあった。社員・従業員の皆さんに『皆に迷惑をかけた』と謝った。ところが逆に『社長!!心配しなさんな。我々こそお世話になった』と激励された。本当に申し訳ないことをしてしまった」。
<COMPANY INFOMATION>
有限会社 名島産業建設
所在地:福岡市東区香住ケ丘4-9-25
設 立:1972年12月(創業1965年4月)
資本金:1,000万円
TEL:092-681-6720
業績推移 2008年 2009年 2010年12月期
売 上 7億5,282万 5億8,013万 5億見込み
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