11日15時過ぎ、震源地近くの宮城県石巻市の友人より電話があった。「人的被害はなかったが、自宅のブロック塀が倒壊し、停めてあった車が下敷きとなった。海岸近くに住む親戚や友人宅は津波で流されており、連絡が取れない」。という。また、同日夜、東松島市(旧鳴瀬町)からは「海岸に多数の遺体が打ちあげられている」といった連絡があった。
筆者は震源地に近い宮城県石巻市の生まれで高校を卒業するまでこの地で過ごし、太平洋沿いを走るJR仙石線を通学に使用し仙台市内の学校に通っていた。今回の地震と津波で大きな被害を受けた宮城県沿岸部には多くの友人や親戚が住んでおり、現在も連絡がつきにくい状態である。
報道で、かつて海水浴や旅行に行った南三陸町(旧志津川町、歌津町)、気仙沼市や岩手県陸前高田市の状況を目にした。想像を絶する状況である。そもそも三陸沖とは岩手県から宮城県に掛けての沿岸部のことであり、暖流と寒流がぶつかる「潮目(しおめ)」と呼ばれる豊富な漁場が存在し、世界三大漁場のひとつに数えられる。漁業のほか、海苔やワカメの養殖や造船業が盛んであり、風光明媚な土地であり、観光地としても知られる。
他方、三陸沖は「宮城県沖地震」と言われる大きな地震が30年から40年周期で発生する地震多発地帯でもある。また地図上で見れば分かり易いが沿岸部は入り組んだ地形のリアス式(沈降)海岸であり、なおさら津波の被害を拡大させるのである。
別表を見て頂きたい。過去に起きた宮城県沖地震である。1978年(昭和53年)6月12日に発生した宮城県沖地震で筆者の生家は崩壊した。当時2歳であった筆者に記憶はないが、発生時刻が午後17時過ぎであったため、夕食の準備をしている家庭が多く火災が多発したことを両親などからよく聞かされた。
また、宮城県沖地震ではないが、1960(昭和35年)年5月22日(チリ時刻)には南米チリにてM9.5の大地震が発生、この地震による津波が5月24日(日本時間)に三陸を襲った。今回、甚大な被害を受けた南三陸町などで142名が死亡している過去がある。これにより、三陸では津波被害を防ぐ目的で高さ数メートルの堅牢な水門が設置されている。今回も津波に備えて水門を閉じたのだろうが、水門を超える高さの波が押し寄せたのだろう。過去に発生した宮城県沖地震のマグニチュードは7.4を記録している。今回のM9.0がいかに大きな地震であったかは容易に想像できる。
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