時間を追うごとに事態の深刻さは増していった。死者の数もとうとう1万人を超えてしまった。波が高かったこともあって海底に沈んでいたヘドロを波が運んできてあちこちにまき散らしていた。破壊された家の瓦礫や壊された車や船などがヘドロと重なりあってあたり一面はぐちゃぐちゃになっており、まったく町の体をなしていなかった。破壊されたものの悲惨さと併せてヘドロによる疫病の心配もでてくるだろう。ほとんどの家は跡かたもなく壊され流されて寄せられて瓦礫の山になっていた。
3月14日の時点で東北地方だけでもすでに1,500人以上の人が死亡、45万人が非難し1万5,000人の人たちが消息不明になっていた。実際の被害はもっと増えるだろう。
被災地から100キロ以上離れている盛岡でも市内に閉じ込められた状態になってしまっていた。首都圏や被災地との道路は遮断され人の行き交いだけでなく物流もとどこおった。物がないので飲食店は閉店するしスーパーではほとんどの食品が姿を消していた。ガソリンスタンドはガソリンを入れる人で2キロ以上の長蛇の列ができていた。それでも買えない人のほうが多かった。寒さを凌ぐために不可欠な灯油も50リットル以上は売って貰えなかった。ガソリンがいつ手に入るかわからないので町の中には殆ど車は走っていなかった。街はひっそりと静まりかえっている。余震はまだ続いている。予報ではこの後も大きな余震があると警報を出している。経済活動は完全にマヒ状態だ。同じ盛岡でもガスや水道も止まってしまったところもある。
被災地での生活は想像を絶するものだ。ガソリンに不自由するため普及作業はほとんど手作業で行なわなければならないのではかどらない。足の踏み場もない瓦礫の山なので消息不明になっている人たちの生存さえまだ確認できないのだ。
【髙塚猛事務所 髙塚 猛】
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