そして地震はもう一つ厄介な問題をもたらした。それは原発事故だ。新聞やテレビの見出しはこぞって原発の危険性を訴えていた。すべての原子炉が何らかのトラブルを起こしていると報じていた。半径20キロ以内の住人には避難指示も出された。報道のなかには水爆を連想しそうな水素が爆発したという情報や「火が噴いた」、「煙が出ている」、「燃料棒が露出して放射能が放出される」などと核そのものが破壊されそうだと勘違いしてしまいそうな情報が飛び交っていた。ニュースを聞いていると今にも恐ろしいことが起こりそうな不安な気持ちになる。テレビを通じて見る現状があまりにも悲惨なだけにこの報道を聞いた人たちは今後、原発に対する不安心理が高まりリスク回避の姿勢が強まる恐れが出てくると思った。
恐らくこれを境にして新しく原発を誘致することは至難の技になるだろう。そればかりか現在稼動している原発にも何らかのマイナスのベクトルが働くことは必至だろう。
港湾整備や道路などの社会インフラの被害は見た目には派手だがやがて解決出来る問題だろう。また地盤沈下したところへ津波によって運ばれた海水が溜まって沼のようになっていることも技術や時間の経過によって解決できる問題である。もちろん被災者にとってはとんでもない出来事であるからこんな言い方をするのは不謹慎だ。
しかし被爆に対する恐怖心は、この出来事によってさらに強くなり解決出来ない問題として残るだろう。そしてこのことが実体経済に及ぼす悪影響は計り知れないものとなる。家庭内にあっては電気が通っていなければ電気製品だけでなくガス暖房もガス風呂も沸かせない。身の回りにあるあらゆるものは電気を使うことによって使用が可能になったり造られたりしている。停電という経験によってそのありがたさを嫌と言うほど知らされたばかりだ。東日本大震災では原子力発電所だけではなくて火力発電所も水力発電所も5カ所ずつ停止してしまった。株価も下がり円高も進んだ。幸いなことに便乗値上げはなかったものの電力不足が長期化すれば物価は間違いなく上がってしまうだろう。たった2日間だったが停電した夜は寒くて怖かった。その電力の供給量は原発なしでは需要を上回ることは出来ない。
今回の地震から得た教訓は自分の周りで起こったことだけしか知らなければたいしたことではなかったことが、知ることによって風評被害が広まるということを感じたことだ。たしかに知ることは大切なことだ。しかし知ることによってリスク回避の姿勢が高まるだけでは意味がない。恐れを知ってしかもそれを恐れず。という気持ちを育みたいものだ。
【髙塚猛事務所 髙塚 猛】
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