インタビュー (株)イトキュー 常務取締役 中原 昌臣 氏
全国有数の花の生産地・糸島市。創業以来この地にある(株)イトキューは、生産者の想いと消費者のニーズをつなぎながら、業界トップレベルの技術と豊富な経験により、花キ物流業界の牽引役を担い続けている。その同社がこのたび、糸島市の産業団地内に新たに新社屋を建設、本社機能を移転した。今回、同社の常務取締役の中原昌臣氏に、新社屋に移っての取り組みや今後の展望について、フリーアナウンサーの中村もとき氏が、インタビューを行なった。
<新たな花キ産業拠点>
中村 今回、西九州自動車道の近くに立地する産業団地に、新しい社屋を建てられました。これまた、ずいぶんと広大ですね。
中原 今の時期に、これだけの敷地の新社屋というのは、私たちも正直勇気がいったのですが、こういうときだからこそ、挑戦していかなければなりません。
また、ここ糸島半島は温暖で花づくりが盛んです。この糸島をもっともっと活性化させていくためには、花キ産業も発展させていかなければなりません。そういった意味では、このような拠点が必要ではないかと思います。
中村 この拠点に、糸島の花が全部集まるのですね。
中原 そうですね。ここに糸島の花が全部集まります。
ただ、花キ園芸という1つの大枠のなかで、今は海外からの輸入の花も増えてきています。海外の花が入ってくること自体は、止めることができません。しかし、何もせずに放っておくと、質の悪い物が入って来て、花全体のイメージを低下させる恐れがあります。そうなると、やはり国産の花も足を引っ張られてしまいます。ですから、海外の花にもクオリティーの高さを求めることにより、国産の花の商品価値を下げさせない。そのための選別作業もこちらで行なっていきます。要は、底辺部分の花の価値を上げることで、国産のマーケットを維持させていく役割もあります。
中村 具体的には、どのようなことをされるのですか。
中原 主に商品の選別です。海外から入ってくると、どうしても日にちのロスがあります。そうすると当然ながら、病気や痛んだ花が出てきます。日本の消費者へ届けたときに「良いよね」と言っていただけるよう、そういったものをここで選別しています。
また、「乾式輸送」と言って、花は海外から仮死状態で入ってきます。それを、きちんと蘇生・復元させるような役割もあります。
中村 御社の集積場には、どのような花が集まってくるのでしょうか。
中原 糸島でいうと、洋ラン関係が主ですね。それと今は、北部九州――福岡、佐賀、大分あたりの花キが集まってきています。そして、ここから関西や関東地区に向けて出荷しています。
中村 関西や関東でも、花を作っているところはたくさんあると思うのですが、わざわざこちらから持って行くことの優位性は何でしょうか。
中原 やはり、九州特産のかたちというか、スタイルというものがあります。ですから、主に向こうでつくられていない商品を持って行きます。かたちやボリューム感など、温暖な地の利を活かした商品を届けています。
<情報を介して生産者支援>
中村 私にとってみれば、糸島と言えばランです。こちらは産業として、うまく稼動しているのでしょうか。
中原 正直に申しますと、贈答関係が衰退してきているなかで、減産傾向にはあります。しかし、やはり華やかな花ですし、お祝いの花向けなどに関しては、「ランじゃなければいけない」というような需要がまだまだあります。
今後考えていかなければならないのは、ランのオーソドックスなスタイルを変えていくということです。つまり、「高い」というイメージではなく、「楽しめる」というイメージを発信することです。そうして掘り起こしていけば、まだまだマーケットは大きくなるのではないか、と思います。
中村 ただしそのためには、生産者側と運ぶ側と、それぞれの思惑の一致が必要だと思います。
中原 そうですね。逆に言うと、そこを理解していないと輸送はできません。今は、インターネット通販などでも花が売られていますが、流通スタイルによっては「このかたちでなければ届けられない」ということが、まだまだあります。ですから私たちは、「どのようなかたちでも運べる流通スタイルをつくっていく」ということに特化していきます。
中村 生産者に対して、何か経営的なアドバイスなどをされたりするのでしょうか。
中原 今から先のビジネスとして、「物」を運ぶだけでなく「情報」を運ぶことで、マーケットが必要としているものを産地に落とし込んで生産に繋げていくこともしていかなければなりません。
今までは、それぞれの産地が思い思いにつくったものを、「じゃあ市場に出してみようか」というような流通が通っていた時代ですが、やはり今からはありきたりの物をつくっても売れません。「こういったマーケットがある」「こういったニーズがある」「こういった物が必要」というような情報をフィードバックすることで、産地がそれに即した物をつくることができ、そこからまた新たな流通ができてきます。つまり私たちは、物を「B to B」で届けるだけでなく、そこをキャッチボールする中間でないといけないのです。
中村 生産者というのはその場所に立地しているわけですから、直接情報が入って来ないわけですよね。結局、情報を伝えるのは、実は運送する側なんですね。
中原 物を運ぶことが仕事ではない時代になっていますので、運送業態でありながら運ぶ物はかたちではなく、単なる「物」から「モノ」にシフトせざるを得ません。
【文・構成:坂田 憲治】
中村もとき(なかむら・もとき)
1941年、福岡市生まれ。大卒後、RKB毎日放送に入社。若者向け深夜ラジオ番組、夕方のワイド番組などで人気を集めた。RKB退社後、フリーに転身。99年4月より、KBCの「中村もときの通勤ラジオ」のメインパーソナリティーを務める。通勤ラジオ終了後は、アナウンサー時代から数々のコンテストに入賞した腕前の写真業を本格化させる。
[COMPANY INFORMATION]
(株)イトキュー
代 表:中原 俊喜
所在地:福岡県糸島市多久819-1
設 立:1975年1月
資本金:1,000万円
http://www.itokyu.com/
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