<再生会社の社長を鐘川邦次朗氏に依頼したのがドラマの始まり>
このドラマの主役は、O社である。09年5月、(株)サンコー・テクノ(登記上は福岡県久留米市、実質は福岡市南区、以下S社)が倒産した。この営業実体を引き継ぐ目的で、O社が翌6月1日に設立された。養魚機械メーカーで、資本金は990万円。O社の出資者は、S社に焦げ付いた電子商事の中野社長、S社の子会社であった四国テクノの役員、そしてK社会長の鐘川邦次朗氏、およびK社の従業員などで構成されている(資料5:O社の株主構成を参照)。
なぜ、K社会長の鐘川氏が名を連ねていたか。もともとK社はS社との取引があった縁で、電子商事の中野社長は「鐘川氏をO社の社長に据えれば、対外的信用が保たれる」と判断し、社長就任を要請したためだ。資料1のO社の役員構成を見れば、はっきりする。鐘川社長以外で、常勤役員の山本浩二専務、末次徳雄氏は、S社の社員であった。また、取締役の梶原誠氏、監査役の都築さよ氏は、四国テクノの関係者だった(両氏は10年7月で退任している)。
「このメンバーでは会社経営はできない。どうしても実力ある人材が経営トップに座らないと駄目だ」という中野氏の勘は間違いなかった。2年前の当時は、鐘川氏もK社会長というポストにあり、超多忙ということもないので社長就任の要請を断る理由もなかった。というより、邦次朗氏は「チャンス到来」と考えていたのではないか。K社も、何らかの事態打開策が必要とされていた時期でもあった。
話を聞いているうちに、「O社の工場として、K社の空いている場所を借りるつもりだ」ということを耳にした。筆者は、「それではいずれ、必ずK社から乗っ取られますね」と警告を発した。「いや、大丈夫。株主の構成では、圧倒的に過半数を握っているから」と中野社長は反論した。「中小企業の場合は、株だけで解決できない問題が数多くある。K社の工場で一緒に仕事をしていれば、従業員たちは共同意識を持ちますよ。相手は、この結束力を利用する機会を狙ってくるはずです」という予告をしていた。
【児玉 直、楢﨑 賢治】
COMPANY INFORMATION
(株)鐘川製作所
代 表:鐘川 喜久治
所在地:福岡県粕屋郡須恵町大字上須恵1495-1
設 立:1966年10月
資本金:4,000万円
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