<鐘川製作所とは何?>
まず、K社の概要、歴史を簡単に説明する。同社は1914年5月、鐘川金次郎氏(邦次朗氏の祖父)が建築・装飾金物業者として博多区神屋町で個人創業したことに始まる。35年に南区に移転し、48年より鐘川良介氏(邦次朗氏の実父)が2代目代表に就任。63年にはブレーキプレス機を導入し、切曲加工をスタートした。66年10月に法人化し、以降は自動車関連の板金加工で受注を高め、75年に福岡県須恵町に工場を移転。多数の設備を導入するとともに、本格的な精密板金加工工場を築き上げていった。
83年には3代目代表に鐘川邦次朗(現・取締役会長)が就任。以降もレーザー加工機や生産管理LANシステムの導入、また工場用地や建屋の購入など、積極的な設備投資を行ない事業を拡大。70年代のオイルショック時には、大口取引先の倒産で経営危機を迎えたこともあったが、着実に成長の道を歩んできた。06年10月に現代表の鐘川喜久治氏(邦次朗氏の実弟)が就任し、現在4代目。3世代、4代にもわたる、創業100年に迫る老舗の板金加工業者である。業歴の長さから、周囲からの知名度、評価も非常に高い。
財務内容については、盤石とは言えないまでも自己資本比率は30%を超える。また、設備投資産業であるにも関わらず、借入負担はそう重くはない。近年の売上高はどうだろうか。07年6月期、08年6月期は10億円を超える売上高を計上していたが、09年6月期に8億円台に、10年6月期は7億円台前半にまで落ち込んでいる。09年6月に設立したO社との取引が開始されていなかったら、大幅な減収になっていたはずだ。
さらに話を進めよう。K社は、大手ゼネコンをはじめ、多くの建設関連の得意先を持つが、受注減と厳しい単価強要に悩まされている。ここにO社が設立された。10年6月期、7億円あまりの売上高のうち、O社から約1億2,000万円の仕事を請けているのだ。一躍、ありがたいお得意先を掴んだことになる。さらにメリットがある。O社の社長は、邦次朗氏である。K社への発注単価に、手心を加えられる立場にあるのは魅力的だ。
K社から見れば、1年目からO社は得意先としてドル箱になった。2年目になれば一段と魅力的になる。2年も経過すれば、従業員たちを手なずけられるところまできた。筆者が予測した通りの機が熟するところで、邦次朗社長はO社直轄経営に果敢に勝負を挑んできたのだ。それが、見事に功を奏した。
【児玉 直、楢﨑 賢治】
COMPANY INFORMATION
(株)鐘川製作所
代 表:鐘川 喜久治
所在地:福岡県粕屋郡須恵町大字上須恵1495-1
設 立:1966年10月
資本金:4,000万円
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