公のために行なわれるべき選挙に対し、『自粛』が叫ばれるという支離滅裂とも言える事態に陥る危険性が高い今回の統一地方選であるが、決して有権者は無関心でいられる状況ではない。
たとえば、多くの人々の関心が高い東日本大震災の被災地への支援策ひとつをとっても、自治体によってさまざまだ。九州では佐賀県が3万人規模の被災者受け入れ体制を方針として打ち出す一方、隣の福岡県においては、避難してきた被災者に対し、県職員が公休日である土日祝日は対応ができないなどと、無償提供される県営住宅の鍵の受け渡しを拒否し、福岡県民500万人に汚名を着せた。
問題は、復興支援およびその財源だけではない。各自治体の防災対策、今後の経済への影響など、東日本大震災が提起する問題は山積している。その舵取りの一端を担うのが、地方自治体における二元代表制のもうひとつの柱、地方議会である。
地震発生の前、愛知県名古屋市、鹿児島県阿久根市と、住民投票によって市議会が解散させられたことで、世間はわいた。そのどちらも、リコール署名活動から住民投票にいたるまでにたいへんな苦労があったことは、NET-IBニュースでも報じてきた通り(リンク先参照)だ。
また、各自治体では政務調査費の不適正使用が次々と問題になり、地方議会のあり方が問われていた。もっとも、そうした問題議員を選んだのが有権者であることも忘れてはならない。地震の発生以前から、今回の統一地方選の争点として、地方議会の質そのものが問われていたはずである。
最も深刻な被害を拡大し続けたのは『人災』であることを、われわれは今回の大震災の教訓とする時期が遅かれ早かれやってくるだろう。かかる状況下で選挙が行なわれる以上は、すべての有権者は、今までにない"危機感"をもって、立候補者の一人ひとりを吟味しなければならない。わが国始まって以来の危機に直面しているのである。
もちろん、有権者がしっかりと品定めを行なうには、しっかりとした選挙活動が行なわれる必要がある。『自粛』にかこつけて、各陣営が選挙活動を控えめにする。その結果、投票率が下がり、組織票の数で当落が決まる。そのような選挙だけはなんとしても避けなければならない。
極端な悪い例であるが、ある立候補予定者は「自粛で何もできない」と、最近、車のなかで昼寝をしていることが多いという。こういう時こそ、現職も新人も有権者の前で政策論争を交わし、切磋琢磨すべきではないか。各有権者の確信をもった判断にしたがって投票行動が行なわれ、その厳しいチェックをパスした者だけが議会に集ってこそ、「有事における地方議会」が生まれるのではないだろうか。
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