【インタビュー】港湾の歴史を刻んできた男が語る博多港の過去と未来像
<議員として責任を感じる>
政治家になる前は、私自身、港湾関係にはまったく興味ありませんでした。ただ、子どものころ近くに住んでいたという程度です。しかし私には、港湾埋立に議員として関わってきた責任があります。
ですから、港湾局にも「アイランドシティ事業で利益を出そうと考えるな」と言っています。それよりも「いかに赤字を少なくするか」が重要です。イヌイ建物という企業が大型物流施設をつくるといった話もありましたが、リーマン・ショックなどの影響からか頓挫しており、将来的に島全体がどうなっていくだろうという心配もあります。すでに島内には街ができており、住民の方もいますが、買い物する場所としてスーパーがなく、コンビニが1軒あるだけです。
ですから、私はアイランドシティを発展させるためには、公共投資がどうしても必要だと考えています。たとえばシーサイドももちには、博物館、美術館、図書館など文化的な施設やドーム、ショッピングモールなどがあります。一方で、県立美術館、市民会館は建て替えしなければなりませんから、そのとき一緒にアイランドシティへ移転するという方法もあるでしょう。ただアクセスが悪いですから、やはり鉄軌道を引っ張り込むのが重要です。
この件に関しては、かなり公共投資をしていますし、われわれも責任を感じています。こども病院移転の問題もあり、高島市長は秘策があるとおっしゃっていますが、ともかく照葉の街では立派な住宅や学校ができています。ところが生活関連がまだまだですし、もっとスピードを上げて事業を進めなければ、誰も来ませんよね。そのためには、土地をもっと安く売っていく必要があります。今、全体的に土地の価格が下がっているなか、皆が様子見をしている状況だと考えられます。
アイランドシティにエコタウンをつくるという構想がある一方で、博多港にはエコターミナルというすばらしい取り組みがあります。私自身は、市議を引退しますが、博多港にはこれから日本一そして世界一の港として成長していってほしいと思います。
【文・構成:大根田 康介】
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<プロフィール>
津田 隆士(つだ たかし)
1944年、福岡市生まれ。高取中学校、博多工業高校、九州産業大学を経て、(株)福岡魚市場に入社。79年福岡市議会議員に初当選して以来、連続8期当選。2011年の統一地方選挙には出馬せず、長男の津田信太郎氏にバトンタッチし引退する。
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