<何も知らずして『運・不運』で終わる>
恐らく今回の東日本大震災の死者は、最終的には3万人を上回るのではないか。もちろん、危機一髪で津波襲来から免れた人たちも10万人を超えるはずだ。
では、この人それぞれの生死の分岐点はどう評価できるのであろうか。世間一般では、生を守り抜いた人には「運が良かった」、津波に巻き込まれ命を落とした人には「不運であった」としか表現しないであろう。個人レベルでは「運・不運」で完結するしかないが、果たして企業防衛の観点から言えば、「運・不運」で片づけてよい問題なのだろうか。
ゼオライトの松井部長が津波被災から辛うじて免れたのは、単に「運が良かった」だけで総括できるものではないのではないか(詳細の記事はこちら)。たしかに、松井部長個人にも運力はあっただろう。
もともと河村恭輔会長・勝美社長の2人は、地震発生の3月11日に現地・フジパン仙台工場に行く予定であった。恐らく、当日に訪れていたのであれば、津波から逃げだすことができなかったであろう。3月9日から11日まで、仙台を視察する計画を練っていた。当初、11日にお客さまであるフジパンの工場訪問を予定していたが、常にスケジュールのチェックを行なう。それが、河村会長・社長が永年、遂行してきた『気学』の実践である。まずは、「顧客への挨拶訪問が第一義に為すこと」の原則を履行した。結果、11日の地震発生の時間には、2人は福岡に帰り着いていた。
<『気学』の鍛錬でリスク予測が立つ>
河村会長・社長夫妻は永年の経営を展開するなかで、幾多の辛酸を舐めてきた。信頼していた仲間からの裏切り、乗っ取り画策、不良債権の発生、実例を挙げればキリがない。
「なぜ、こんな不運に見舞われるのか」と自問自答を行なった。出た結論は、「我々はあまりにも人が良過ぎて、すぐに他人さまを信頼してきた。これでは経営のリスク防衛はできずに、いずれ会社を倒産させてしまう。何か発想の転換が求められている」ということであった。
必要とするときには、必ず必要とする人と巡り合える。ある経営者の紹介で「導与会」の中馬先生と知己を得た。さっそく、『実践気学』に入門した。半年の勉強を経てお2人は悟った。「我々は、あまりにも無知過ぎた。ただ、他人さまに迷惑をかけまいと、無我夢中で働いてきた。しかし、地球というこの世界は、定まった法則の下で動いている。この自明を理解することで、社会を見る目が一転した。将来が想定できることで、経営手法も大変革することができるようになった」と振り返る。
「気学」の実践を踏まえていくと、未来の数多いシミュレーションを関知できるようになってくる。そうなれば、「危ない橋」を渡らなければすむだけの話だ。この経営決断方式を採用することで、余計な無駄を回避できるようになった。結果的には、リスクヘッジが可能になってくる。
河村社長は最後をこう結ぶ。「普通なら、震災の犠牲者になったからという理由で支払いも打ち切られるようになっていたかもしれません。ですが、フジパンさんはちゃんと決済してくれることになりました。ありがたいことです。我が社も100人を超える所帯になろうとしています。ますます、『実践気学』を深める努力を怠らないようにします」。
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