福岡市議選後に統一会派を組むとされていたみんなの党と同市議会の会派・みらい福岡であるが、交渉が決裂し、みんなの党は独立会派の届出をする運びとなった。18日、両者はそれぞれ記者会見を行ない、その経緯について説明。会見では双方、会派名や同じ部屋に入るかどうかで意見が対立したことが交渉決裂の原因としたが、背景には、選挙公約(政策)の制定をめぐるトラブルがあった。
渡辺喜美代表が、アジェンダ(政策課題)に賛同する者は拒まずといった「この指止まれ」の政界再編を提唱するみんなの党。一方のみらい福岡は、政策実現のために協調する市議で構成された「市民会派」であることを強調する。つまり、両者が提携する際に重要となるのは政策である。
2011年2月、みんなの党は、市議選の候補予定者(当時)が集まり、ローカル・アジェンダ(福岡市版・政策課題)の作成を行なった。これを知ったみらい福岡の幹事長・笠康雄市議(西区)は、「先に出されると(みらい福岡は)ついていくしかない。すり合わせがない。政治家が大事とする政策目標がそれでいいのか?」(記者会見)と、抗議した。
その結果、先に作られたローカル・アジェンダの案は、みらい福岡へ渡され、党本部を介在する形で、直接的なやり取りがない"すり合わせ"が行なわれたという。この件により、みらい福岡のみんなの党に対する不信感が高まった。この時点で、統一会派の実現は極めて困難なものになったとも言えるだろう。
今回、両者の間で論争になったのは、市議会の議員控え室を分けることと政党名(みんな)を統一会派につけることであった。みらい福岡は、前者について、他の会派とも相談しないと決められないこと、後者については、自民党系の市議がいる以上、みんなの党だけを会派名につけられないことを説明したとしている。
市議選に当選したみんなの党の3名(吉武輝実氏・東区、寺島浩幸氏・西区、富永周行氏・南区)としては、全員が公認候補であり、選挙期間中「みんなの党」を掲げて戦ってきた以上、政党が表に出ないかたちで会派に入ることは承知しがたい。党本部からは「政党としての独自性を保つように」との指示もあった。結局、お互いが相譲らず、破局を迎えた。
みんなの党側は記者会見で「双方の認識がズレていた」とし、また、「具体的な選挙協力はなかった」として、投票行動への影響はなかったと主張した。そして、他の会派とは基本的に政策次第で協調行動をとり、市政改革を進めていくとする。
一方のみらい福岡は、「政策だけで来るならいくらでも手を握るが、用心したくなる」と言葉を濁した。
今後の両会派間の関係にしこりを残すかたちとなったが、政策論争については、私情をはさまず議論を交わして欲しいところ。なお、みんなの党の独立会派には、高山博光市議(城南区)が同党に入党したうえで参加する。
【山下 康太】
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