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特別取材

市民と共生する博物館(1)~九州を基点に文化伝播
特別取材
2011年4月29日 07:00

九州国立博物館 館長 三輪 嘉六 氏

 日本からアジアへ飛び出してビジネスしようとする場合、よく「相手の歴史・文化の違いを把握しておく必要がある」と言われる。商習慣の違いなどにつながるからだが、では日本人は本当に自国の歴史・文化をきちんと踏まえたうえで海外進出を考えているのだろうか。観光についても同様のことが言える。こうした問いに答えるヒントを得るべく、九州国立博物館館長の三輪嘉六氏に、長く歴史・文化の分野に携わってきた立場から話を聞いた。

(聞き手、文・構成:I・B編集長 大根田 康介)

九州国立博物館

 ―まず、博物館の基本的なコンセプトと活動についてお聞かせください。

 三輪 開館から5年以上が経ち、3月1日現在で約860万人の方にお越しいただきました。年平均で約160万人です。当館は「市民と共生する」というのを1つのテーマにしております。市民とのあり方を常に正面に出しながら、お客さまと対話をしていき、日本独自の文化それと異文化をも提供しながら1人でも多くの方にファンになっていただくのが目的です。
 これには、背景がいろいろあります。当館は、もともと「国立」博物館というイメージが皆様におありかと思います。もちろんそうなのですが、5年前にオープンする基礎になったのは、市民の皆様の応援です。

 ―国が50%、県が40%、市民が10%ずつ出資したことですね。

 三輪 そうです。普通は「国立」というと国が100%出資するものですが、当館の場合は民間の寄付がありました。この部分を視点として大事にしたいと思っています。つまり、市民の関心をベースにしてできた博物館なのです。そのため、市民と共に展開していくというのをコンセプトの1つにしています。
九州国立博物館 館長 三輪 嘉六 氏 具体的な活動で申し上げると、なるべくアジアとの接点を見せていこうとしています。「日本文化の形成をアジア史的観点で見せる」ことを原則にしています。理由は簡単明瞭です、とくに弥生時代以降の日本は、大陸の影響を大きく受けて日本独自の文化が成立していきますが、丸写しではなくて、それを日本的に消化しながら日本独自の文化として育てていきました。その基点となったのが九州、しかも北部九州なのです。
 説はいろいろありますが、弥生時代はコメの文化が大陸あるいは東南アジアから日本に入ってきました。その経由地として北部九州があり、そこから日本全国に広まりました。また、遣唐使は奈良時代を形成するうえで非常に大きな文化的な事象なのですが、それも九州が経由地となって文化が伝わりました。
 そういう意味では、歴史的に見ても九州が果たした役割は非常に大きいものがあります。中世も日宋・日明貿易を経て、博多を基点とした新しい文化が構築されました。あらゆる時代で、九州というのは大事な切り口となっているわけです。

(つづく)

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<プロフィール>
三輪 嘉六 氏三輪 嘉六(みわ かろく)
1938年岐阜県生まれ。奈良国立文化財研究所研究員、文化庁主任文化財調査官、東京国立文化財研究所修復技術部長、文化庁美術工芸課長、同文化財鑑査官、日本大学教授などを経て、2005年から現職。専門は考古学、文化財学。現在、文化財保存修復学会会長、NPO法人文化財保存支援機構理事長、NPO法人文化財夢工房理事長、「読売あをによし賞」運営・選考委員など。主な著書に、「日本の美術 348家形はにわ」(至文堂、1995年)、「美術工芸品をまもる修理と保存科学」(『文化財を探る科学の眼5』国土社、2000年)、編著に「日本馬具大観」(吉川弘文館、1992年)、「文化財学の構想」(勉誠出版、2003年)など多数。


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