昨年(2010年)10月、柳川市議会に新しい会派が誕生した。「柳川市民クラブ」(6名)という名称である。この会派は、元議長の復権(再度の議長就任)を阻止するためにつくられたもので、会派としての拘束力はないという。一定程度の政策的すりあわせも前提ではないらしい。
では、なぜそこで結びつくことができるのだろうか。やはり人間関係と、いわゆる「連合議員」という関係につきるのではないか。「反TPP」では全会一致で決議されるが、市政の個別政策をめぐっては各自の意見が尊重されているのだろう。ただ、今度の県議選に表された民意を尊重するというのなら、中央の民自対決構造をそのまま地方議会に持ち込むというのではなく、民自の区別をはっきりさせたうえで市政に対するチェックと政策提案能力を高めていくような会派づくりが必要となっていくだろう。
その際、問題となるのは民主党の存在意義と役割であろう。逆風のなかで耐え抜き、地方には地方のやり方で、民主の旗を形成する気概がなければ、「地域主権」の確立どころか、柳川の政治風土のなかで浮遊していくことは免れないだろう。
このことは自民党にも言える。江口氏の落選で「自民党福岡県第7選挙区支部」の支部長である古賀誠氏の受けた傷はそう小さくはないであろう。次期総選挙にむけ、「自民党柳川支部」の再建は緊急の課題となった。民主党政権のもとで今後も派閥の領袖としての威厳を保ち、政権奪回をめざすためにも大票田である柳川市をみすみす民主の手に渡すわけにはいかないだろう。言い方は悪いが選挙の「手足」になって公然と動ける市議の存在はのどから手が出るほど欲しいと思われる。今回の県議選は、09年の市長選の影響もあり市議会内部での明確な民自対決の様相は表には現れなかった。
柳川市議会では政治的変化が見られる。石田前市長時代には石田氏を支持する「柳志会」と、それに反目する多数派議員で市議会は混乱を極めていた。しかし、金子新市長が誕生すると、多数派議員は石田市長時代のような対決姿勢は影を潜め、「柳志会」は新市長に対して批判的な姿勢で臨んでいた。
そして、昨年秋の市議選終了後、新議長選出を巡り、前市長反対派(多数派)が分岐し、新会派「柳川市民クラブ」がつくられ、議会は三潮流の色を濃くしていった。今回の県議選では、会派として椛島、江口両氏のいずれかを支持するということではなく、両会派が混在した形で選挙戦が展開された。
石田前市長時代のように、「柳志会」と多数派が激突という構図は、新市長のもとでは消え去り、流動化が表面化している。金子市政の残された任期2年のあいだで、マニフェストの先送り(運動公園構想)を受け、2年前の新市長歓迎の声と異なる様相を呈してきている。
そこで重要なのは、こうした議会内における議論を市民が監視していくことである。前市長時代と比べると、議会傍聴者は大きく減ってきている。市長や本当に市民のための行政を行なっているのか、市議がきちんと行政を監視しているのかを市民がチェックしていかねばならない。市民のチェック抜きでは議員も変わらないものだ。
県議選という「お祭り」が終わったら、あとは静かで何もなかったかのようではいけない。柳川市の発展のために議会が、議員が何をなすべきか。市民が無所属議員の言動を吟味し、声をあげていかないかぎり、無所属―保守派内のシーソゲームが続くことになろう。その意味でも民主は踏ん張りどころである。また民主ではなくあえて無所属で初当選した椛島氏が、柳川市の活性化と福祉の発展のために何をしていくのか、市民も注目している。
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