博多港開発(株) 取締役社長 中島 紹男 氏
博多湾の一角に悠然と浮かぶアイランドシティ(以下、IC)。このICの開発をめぐっては、これまでさまざまな議論があった。ICの開発に深く関わり、その発展に尽力する博多港開発㈱取締役社長の中島紹男氏に、ICそして博多港のこれからのあり方について話を聞いた。
<マルチ・クロス・ポート>
―ところで、中島社長はどのようなかたちで港湾事業に関わってこられたのですか。
中島 私は05年1月から07年3月まで港湾局長をしておりました。そのころはコンテナ量がどんどん伸びる時期で、ICの-15m岸壁(C2バース)がいろいろな方の尽力で事業採択されるときでした。あそこは日本でも先進的な「エココンテナターミナル」の実証実験をしていますが、時代を先取る環境にやさしい港と言いますか、そうしたものが現に運営されており、そのスタート前から関われたというのは感慨深いですね。
―御社にまつわる、今年注目すべき出来事をお教えください。
中島 実は今年は、当社にとって創立50周年の節目の年なのです。当社が最初に取り組んだのは須崎ふ頭の開発で、その後はウォーターフロントのまちづくり、臨海部の産業拠点開発など、行政と役割を分担しながら密接に関わってきました。それが今日の福岡経済の発展につながってきたという自負が当社にはあります。港湾機能が高まることで物流が発展しましたし、とくに中国からのクルーズ船が年間60隻以上来るということで、港全体がきちんと整備されてトータルとしてまちの魅力が高まり、人流が盛んになってきたと思います。
現在、当社の一番大きな仕事はIC開発ですが、それだけではありません。むしろ、これまでのウォーターフロント整備の歴史のなかにICが位置づけられており、過去のノウハウが生かされていると思います。博多港の西部地区から東部地区までの臨海部の埋立地約1,500haのうち、約780haほどを当社が開発してきました。50周年の節目を迎えるにあたり、これから先も港湾開発の一端を担える企業として期待に応えていきたいというのが当社の願いです。
博多港は「マルチ・クロス・ポート」だという構想がありますが、物量で勝負する港ではないということです。輸出入貨物の99.7%が海上輸送によるもので、港がしっかり整備されて活気があるということは、それだけ経済が活況ということの表れだと思います。
とはいえ、上海や釜山が圧倒的なコンテナ量を取り扱うなかで、博多港は東アジアに近い地理的優位性などを活かしたさまざまな輸送網がクロスすることで価値が創造できる港をつくるのが理想だと思います。それが福岡経済の発展につながるでしょう。これからもしっかりと港湾機能の充実・強化に取り組んでいきたいですし、どのような役割を担えるか常に考えていきたいと思います。
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<プロフィール>
中島 紹男(なかしま・つぎお)
1949年生まれ。73年中央大学卒業後、福岡市に入庁。92年(財)アジア太平洋センター事務局長、99年総務企画局人事部長、05年港湾局長、09年㈶福岡コンベンションセンター理事長を経て、10年6月博多港開発(株)取締役社長に就任。
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