九州国立博物館 館長 三輪 嘉六 氏
日本からアジアへ飛び出してビジネスしようとする場合、よく「相手の歴史・文化の違いを把握しておく必要がある」と言われる。商習慣の違いなどにつながるからだが、では日本人は本当に自国の歴史・文化をきちんと踏まえたうえで海外進出を考えているのだろうか。観光についても同様のことが言える。こうした問いに答えるヒントを得るべく、九州国立博物館館長の三輪嘉六氏に、長く歴史・文化の分野に携わってきた立場から話を聞いた。
―日本ではアイデンティティーを培う教育の場は無かったのでしょうか。
三輪 たとえば、オランダにライデンという町があります。16世紀ころ、周辺のさまざまな国から攻められながら市民が外敵から一所懸命に町を守りました。そのとき、王様が褒美を与えようとしたところ、市民が求めたのは学校でした。今のライデン大学がそれです。その場限りの黄金の数々をもらうよりも、未来永劫息づいていくであろう文化をしっかりと教育できるものとして学校を求めたのです。
日本もそうした部分が本来はあったのでしょうが、それをあまり表に出してきませんでした。明治5年の学制が始まったとき、まだ江戸時代の延長でもあった時代にいくつかの村に学校を建てるわけです。その地域の住民が喜んで教育に参加し、それが今日の高い識字率や文化につながりました。
もっとさかのぼれば、奈良時代に聖武天皇が東大寺を建てながら、日本全国に教育施設ともなる国分寺を建てるわけですが、そのときの市民とは竪穴住居に住んでいるような人々です。皆が一所懸命につくりあげて、中国から入ってくる文化をしっかり受け止めて奈良時代の文化、律令社会をつくり上げていきました。日本ではそうした例がなかったわけではありません。
もしライデンへ観光に行けば、シーボルトに関するものをライデン国立民族学博物館へ見に行くと思いますが、ライデン大学にも行き、先ほどのような話を聞いて目を丸くして帰ってくるわけです。日本でもそういう部分はたくさんあるのですが、しっかりとPRされていません。これが博物館の盲点でもあります。これからの観光、とくに「文化観光」というのは、地域観やそうしたきめの細やかな見せ方が求められてくると思います。
私が文化財の仕事を始めたころ、先輩たちは「博物館は本当にわかる人だけが来れば良い」と言っていた時代がありました。私自身も「そんなものかな」と思っていたことがありました。しかし、そうではなく、今は来る人にいかに楽しんでいただくかを考える時代だと思います。
私のなかにある世界で一番の博物館、美術館を挙げるとしたら、それはアメリカ・フィラデルフィアにあるロダンミュージアムです。当館の20分の1くらいでしょうが、ここはすばらしいです。決してルーブルやメトロポリタンほど大きくはありませんが、不思議な魅力があります。
<プロフィール>
三輪 嘉六(みわ かろく)
1938年岐阜県生まれ。奈良国立文化財研究所研究員、文化庁主任文化財調査官、東京国立文化財研究所修復技術部長、文化庁美術工芸課長、同文化財鑑査官、日本大学教授などを経て、2005年から現職。専門は考古学、文化財学。現在、文化財保存修復学会会長、NPO法人文化財保存支援機構理事長、NPO法人文化財夢工房理事長、「読売あをによし賞」運営・選考委員など。主な著書に、「日本の美術 348家形はにわ」(至文堂、1995年)、「美術工芸品をまもる修理と保存科学」(『文化財を探る科学の眼5』国土社、2000年)、編著に「日本馬具大観」(吉川弘文館、1992年)、「文化財学の構想」(勉誠出版、2003年)など多数。
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