揺れた、揺れた。居間にあったスチールの本箱が私の目の前で大きく歪み、そのすき間から大量の本や資料が飛び出してきた。次の瞬間、柱時計が落下。単一の乾電池が飛び出して、午後2時46分を指したまま時を止めた。3月11日、この日を境に、選挙の形が変わった。
埼玉県所沢市は人口34万人の発展途上都市である。東京都と隣接し、働き手の大半が"所沢都民"だ。収入の基盤が東京なのだから、働き盛りは地元に興味がない。市の行政に関心がない。近所や地域との付き合いは妻に任せるか、付き合いをしない。
わが家の裏にそびえるUR(旧公団)賃貸の集合住宅では、自治会がない。掃除や回覧板などもURに雇われた臨時職員や市から委託された人が配布する。隣に誰が住んでいるのか知らない。飛び降り自殺が起きようが、孤独死があろうが、自分が知ろうとしなければ「事件」はなかったことになる。ドアツードアで何でも済んでしまうから、干渉を嫌う人には最適な場所だ。いきおい選挙に興味がなく、投票率も40%台と低い。若年層が極端に低く、政治に関心がない。
「所沢のお土産は?」と問われて、「これです」と自慢できるものがない。これといった地場産業がない。西武鉄道に元気がなく、パイオニアにも逃げられて、いない。ない、ない、ない。なくとも働く場所が東京なのだから、気にならない。市民税が高く、保育園の確保が難しく、就学児童の放課後を保育する学童クラブに格差がありすぎて、何もかにも不満が多い。なのに、問題が表面化しない。とくに、高齢者の声が聞こえない。諦めてしまっているのだろうか。声の強弱に対して行政は反応する。弱ければ耳を傾けようとはしない。
閑話休題。
あの日(3月11日)、私は6時起きして航空公園駅頭に立ち、演説をし、ビラを配った。「大山まひと」という名前も顔も知られていない。知られるには「駅立ち」が一番手っ取り早い。左手に大きな幟を握る。幟には「お年寄りの味方です。」という文字が群青色の下地に、桜色(薄いピンク)で描かれている。「何だか艶めかしい」という声も頂いた。高齢者だから、もう乾いていいということにはならない。この「艶めかしい文字」が功を奏したのか、「お年寄りの味方です。」という文言だけは有名になった。でも、肝心の「大山まひと」は、幟とリンクしていない。
そこで私は考えた。「幟に名前を書いてはならない」というのが選管からの強い要望だった(実際には、多くの候補者が名前入りの幟を立てて、街頭演説していた)。公示日前だから、名前入りのたすきを掛けてもいけない。ここで、名古屋の河村市長候補と大村県知事候補が、「本人」と書いた幟を立てて、自転車行脚している映像を思い出した。
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<大山 眞人>
昭和19年山形市生まれ。早稲田大学第一文学部史学科国史専修卒。学習研究社で女性雑誌、音楽雑誌編集。退社後、ノンフィクション作家。著書に「S病院老人病棟の仲間たち」(文藝春秋・テレビドラマ化)、「ちんどん菊乃家の人びと」(河出書房新社)、「老いてこそ二人で生きたい」(大和書房)、「悪徳商法」(文春新書)、「団地が死んでいく」(平凡社新書)、「楽の匠」(音楽之友社)など多数。「報道2001 老人漂流」(フジテレビ 08年7月 コメンテーター)などテレビ・ラジオに出演。高齢者問題を中心に発言。
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