<対中ビジネスにおける「転ばぬ先の杖」になりたい>
対中投資のすそ野は様々なジャンルに拡大してきていて、従来の製造業、大手流通小売業、金融業などに加え、外食、不動産、教育などのサービス関連産業の分野にも広がりをみせている。九州の企業のうち、99%は中小企業だ。九州アジアビジネス連携協議会の国吉澄夫事務局長は、そして、そういった中小の企業が、背中を押されるように中国に打って出て行こうとする動きがあるなか、中国進出の「転ばぬ先の杖」になれればと思い、協議会を立ち上げた。
まずは、対中国事業の歴史について理解しておく必要がある。日本企業の海外事業展開の発展過程と中国事業の流れを歴史的に見るなかで、現在の対中国ビジネスの抱える事業経営課題が明らかになることが期待できる。
72年の日中国交正常化を起点に、80年代までの日本企業の中国事業は、プラント輸出と技術移転が中心だった。この時期の日中間の協力案件の典型を示すプロジェクトが「カラーテレビ国産化プロジェクト」だ。このプロジェクトは現在のカラーテレビ大国である中国を作り上げる基礎となったもので、日中両国に幅広くまたがった産業の協力が、中国の経済発展の成功に貢献した典型的な事例と言える。複数の日本企業からの技術移管により、中国国内で、ブラウン管や集積回路など、カラーテレビを構成する主要な部品が生産され、完成品として組み立てられるまでのテレビ工場がつくられたのだ。そして、そのプロジェクトはのちの中国テレビ産業の国際競争力向上に大きな役割を果たしたと言える。
また、テレビだけにとどまらず、家電全般、一般の機械産業において、80年代はあらゆる省市で日中間の協力案件が展開された。現在、中国はテレビを年間約1億台生産していて、世界一の生産量となっている。そういった意味でも日中間の産業交流発展に果たした、この時期の役割は大きいと言える。
【杉本 尚大】
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