東京青森間の新幹線が4月29日からやっと回復したばかりだ。道路だけは自衛隊によって何処も整理され、瓦礫は片付けられていた。流れた橋は、自衛隊が復旧工事をしていたが街によっては「街の10年分の残骸」というから大変だ。街の声は、まず残骸を政府が片付けてもらわなければ何も出来ないと要望されている。しかし、ブルドーザーなどの建設機械が足らないし自衛隊頼みで、行政は避難所と物資と給食で手一杯らしい。
南三陸町(町村合併前は志津川町)の志津川漁港の町は85センチ陥没している。おそらく元に戻すことに成るだろうが、そうなると一括で国が土地を買い上げ、計画整備してあらためて土地を売り出すようにしなければ、津波に強く、安全で機能的なまちづくりができないのではないだろうか。
規模では比較にならないが、1975年(昭和50年)前後に造成された神戸港のポートアイランドは、開発方式として参考になるのではと思う。「山、海へ行く」と形容されたこの開発手法はベルトコンベアーで後背地の山が削られ、運ばれて埋め立てられ、跡地は須磨ニュータウンとして6,500戸の団地や公共設備や公園が造られた。
沈下した町を埋め立て海岸沿いに高い堤防を二重に造リ防風林をつくれば津波対策としては万全だろう。へき地で過疎化もストップでき、人がうらやむような立派な町になるのではないだろうか。色々な手段があるだろうが元々この被災地帯は経済性に恵まれてないところだから、この機会に素晴らしい町として復興できればと願ってやまない。
地価はひとつの経済指標だが町の中心地でも1坪3万円ほどで九州と比べると格段に安い。志津川町の街部分だけなら10万坪買い上げても2.30億円で買いあげられるし、それを販売し削った山は住宅地にすれば一石三鳥になる。関東大震災の時は、20パーセントの土地を拠出してもらい、都市計画をやり直して道路を広くし、町を整備している。千年後の人々から感謝されるような津波に強いまちづくりの創造が期待されてやまない。
意外なのは漁船の被害だ。津波が来れば沖に逃げるのは素人の私たちでも考えるが、90パーセントも被害を受けている。たまたま集団で、沖で漁をしていた漁港では90パーセントも助かった所があった。すぐに沖へ逃げ、二晩海上にいて助かったという漁師もいる。2005年、私の知人には、福岡における震度5の地震でも港町から油山までマイカーで逃げた人さえいる。国内最大規模のマグニチュード9.0という揺れ方は半端じゃ無かったはずであり、多少人災的な感じもする。
【株式会社 オオモリ総建会長 大森 奨】
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