<記録文学の巨匠・吉村昭氏>
吉村昭氏が1970年に取材を始めて書いた『三陸海岸大津波』(定価438円・税別)が、今ヒットしている。一度、購入して読まれることをお奨めする。
同氏は1927年、東京生まれ。学習院大学中退。66年「星への旅」で太宰治賞を受賞した。同じ年に「戦艦武蔵」で脚光を浴びた。筆者は、この本で吉村氏のファンになった。以降、軍事記録文学シリーズで73年に菊池寛賞も受賞して、作家としての確固たる地位を築いた。吉村氏を『記録文学の巨匠』という呼び名が定まった。緻密な資料を集めることには、定評がある。吉村氏は06年に79歳で永眠されたが、「まだまだ作品を世に送り出していただきたかった」と関係者は惜しんだ。
同氏の趣味の1つに、旅があげられる。三陸海岸をしばしば廻ることがあった。同海岸一帯を非常に気に入ったようだ。70年に、早野幸太郎・中村丹臓両老人から1896(明治29)年の三陸海岸遺一帯に来襲した大津波の話を聞き取り、「記録文学」として作品化したのである。この明治29年の大津波の描写を読むと、テレビで見る被災状況をはるかに超える悲惨な光景が目に浮かんでくるのだ。本当に凄まじさが肌に伝わってくるのである。「1896年に壊滅的な打撃を受けていたのに、どうして同じ悲惨な状況に陥いたのか?」という疑問を抱く。この時点で、「住宅街を高台に建設していても良さそうなものだ」ということである。
<ヨダ≪津波≫が80%の住民を飲み干した>
『三陸海岸大津波』の本から抜粋してみよう。
――引用、以上。
釜石町というのは現在の釜石市を指すのであろうが、この地区の人達は自然災害=大津波に叩きつけられる宿命を背負い続けてきたのである。「ただ粘り強くしぶとく再生するという気質がある」と称賛されても、死者は浮かばれない。どうにか根本的な対策が講じられなかったのか、残念でたまらない。
大津波だけでの被害規模では、明治29年の方が今回の東日本大震災を凌いでいるであろう。故・吉村昭氏の未亡人も作家であるが、「この書籍の印税は、すべて被災者への義援金に充てる」とコメントしている。
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