ボランティアセンター(以下「VC」)には、さまざまな地域からボランティア希望者が集まっている。日本中からだけでなく、海外から来日してまで参加している外国人もいた。
ボランティアセンターから派遣されて作業に当たる場合、基本的に複数人でグループを組みグループ内のリーダーを中心として作業を行なう。今回は、筆者と同じグループになった東京在住の大学生Aさん(19)を取材した。
Aさんは、最近になって授業がない週末を仙台市でのボランティア活動に充てている。以前、東北に住んでいたというAさんは、今回の震災を受け、ボランティアに参加したいという意思は持っていたものの、東京で知らない人ばかりの大学生活に馴染めていなかったこともあり、未体験のボランティア参加へも"あと一歩"を踏み出す勇気がなかったという。
一方、仙台市のVCは、5月10日から県外からのボランティアの受付を始めた。そして6月1日付で北部と南部のVCを統合。受け入れ態勢が整ってきたことを知り、Aさんは参加を決意した。
様々な年代が集まるグループでのボランティア作業。Aさんは参加当初、大学生活と変わらず、溶け込めずにいた。ただし、作業はいずれも1人で行なえるようなものではなく、協力する姿勢を求められる。Aさんは次第に心を開いていった。
被災地のボランティア作業では、実際に被災者が現場に立ち会うケースも多くある。Aさんは被災者が何を求めているのかを知ろうと、誰に言われるでもなく、声をかけて話を聞く姿勢を大事にするようになった。深々と頭を下げる高齢者の姿に涙が止まらないこともあった。
Aさんは、これまでのボランティアを振り返り、「私は被災者の助けになろうと参加しましたが、実際に助けられたのは私自身でした」と語った。忘れていた『自ら行動して人を知る』という姿勢を、ボランティアを通して取り戻したという。
ボランティアに参加する動機は人によって様々である。私自身は今回の取材を通して、その動機がどういうものであっても構わないと感じるようになった。「週末、とくにすることがないから」「出張で被災地の近くに来ているから」、大学生であれば就職活動でのひとつのアピールでも構わないのではないか―。
動機がどんな大義名分を背負っていようがいまいが関係なく、参加することに意味がある。Aさんのように、参加することで何かが得られる、感じることがあるのだ。それはAさんだけではない。ボランティアに向かう人々の、いつも生き生きとした目を見ればそのことはわかる。
【杉元 敦】
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