池松一隆氏は石や金属を用いた抽象彫刻作家。彼の作品は冷たい印象を与えがちな素材ではあるが、独特の丸っこさ、柔らかさを感じることができる。福岡を中心に活動し、40年間で大小約200点の作品を制作。現在も日々作品作りを行なう池松氏に話を伺った。
――作品はどのような流れでつくられるのですか。
池松 石の彫刻の場合、まずデッサンを行ない、完成イメージを作ります。石をノミなどで削り、ある程度の形に近づけた後、やすりをかけ、表面を仕上げます。ヤスリは目の細かいのから、荒いものまで7種類あり、使い分けながら削っています。金属彫刻の場合は、デッサンを行ない、完成イメージを作り、粘土で完成形の形を作る。その後鋳型を作り、その鋳型に金属を入れ、ヤスリを掛けて完成させています。金属と石の彫刻は半々程度製作しています。
――様々な作品がありますが作品はどこからヒントを得ているのですか。
池松 作業場からすぐ近くが海なので、よく貝殻を拾いに行きます。拾ったものが作品のヒントとなることもありますね。また、作業の途中で、山を眺めたり風を感じたりする事があります。美しいものは身の回りにいくらでもあり、美しいものに気づいているかどうかが大事です。なんであれ意識すれば見方は変わります。ひとつ山を眺めるだけでも、山だと思うのと、緑の色合いが、山の曲線が、植物がどうだというだけでも違ってきます。海をみても、今日の海の色は昨日よりブルーがくすんでいるなど日々違ってきます。
自然の力でできたものはやはり人工的には作れない形や色味があって、美しいです。自然の中で勉強になることも多いですね。
――他の芸術家から影響をうけることはありますか。
池松 影響を受けた芸術家として、2歳下の大学の後輩がいます。普通、大学などで勉強するうちに、芸術に目覚めていく人が多いです。しかし、彼は同じ大学でしたが、大学を中退し自分自身で作品づくりを行なっていました。その後芸術家として名を馳せるようになりました。彼のなかに才能があり、教育機関を必要としておらず、自力で才能を開花させています。
そのような人ばかりだと教育機関はいらないのでしょうが、世のなかそんな人ばかりでもないですからね。
やはり、教育を受けて芸術家になった人と、自分の才能だけで開花させた人だと、後者の方が、個性があり強いと思います。彼は静かでいい作品を作ります。身近に尊敬できる芸術家がいることは刺激になるし、すごくしあわせなことだと思います。
――美術作品は触ることや写真撮影を禁じているものが非常に多いですが、池松さんは自身の作品に対し、どちらも許可されています。なぜでしょうか。
池松 多くの美術作品が触ることを禁じているのは、めちゃくちゃに触られることにより壊れたときに困るからです。写真撮影か禁じられているのは、作品の劣化の可能性があるからです。私の場合、ひとつの作品に短くて数カ月、長い物は約1年間作業するものもあります。その間何度ノミで削って、何度ヤスリがけしたかわかりません。何度も触って作っている物ですから、触ってもらって構いません。むしろ、視覚だけでなく、触覚でも感じてもらうことで、より作品を感じてもらえればと思います。
――仕事に対しての思い入れなどありますか。
池松 私たちの仕事は普段の生活のなかでこれは美しい、これは面白いと気づいたものを作品にし、そのものの良さに気づいていない人に作品として提供することだと思っています。
最近病院に行ったが、そこで待合室で待っていた老人2人が「最近どうですか」「とくになにも」といった感じで、非常に実のない会話をしていたように思いました。感性は人それぞれ、幸せも人それぞれなので、その2人もそれで幸せなのかもしれません。しかし、その時私は様々なものをみて美しいと感じ、そこから作品をつくることができる、それが幸せだとつくづく感じました。
ヨーロッパと比べ日本は感性の部分で劣っていると感じます。日本人はよく海外旅行などで、様々な国に行き、様々買ってきた置物を並べるだけ並べて満足することが多いようですが、雑然としてしまいます。本当にいいものをひとつ置くことによって雰囲気等がガラリと変わることを知らないのでしょう。是非ひとついい物をおいて、空間が変わることを体感してもらいたいと思いますね。
【柚木 聡美】
<プロフィール>
池松 一隆(いけまつ かずたか)
1945年福岡県生まれ、1975年愛知県立芸術大学彫刻研究科修了。1981年に福岡教育大学に赴任。2009年に福岡教育大学を退任。同年に田川市美術館にて池松一隆彫刻展を開催、また「大地のかたちSTONE 池松一隆作品集」刊行、また福岡市文化賞 福岡市民文化賞を受賞。現在、福岡教育大学名誉教授。現在、福津市津屋崎恋の浦に仕事場を構え、作品制作に励んでいる。
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