<5市合併による北九州市の誕生
~素材産業から機械加工産業などへの産業構造の転換>
北九州は、京浜・阪神・中京と並んで四大工業地帯と呼ばれる地位を得たが、国内では高度成長が続くなか、三大都市周辺などの大消費地に近い地域に素材産業の工場進出が相次いだ。消費市場から遠い北九州の素材産業は次第に競争力を失い産業基盤の再構築が急務となった。
1950年の日鉄解体により八幡製鐵所と富士製鐵に分離。分割により生産規模が縮小した八幡製鐵所は、日本鋼管・川崎製鉄(現JFEスチール)、住友金属工業、富士製鐵、神戸製鋼所などの追い上げを受け、八幡地区にあった高炉を戸畑地区に集約するなどの合理化を進めることになる。そのため八幡製鐵所に依存する北九州の経済地盤は沈下する一方であった。
1963年、北九州市誕生。5市(門司・小倉・戸畑・八幡・若松)の狭い行政単位から合併による広範囲の行政基盤の整備により、素材産業から機械加工産業などの産業構造への転換がはかられた。その背景には、北九州を再浮揚させたいとの機運が産業界および市民から盛り上がったこと。また合併を前提として5市を結ぶ交通網(戸畑と若松を結ぶ若戸大橋は62年9月26日開通)や通勤・通学や買物などのインフラの整備も進み、市民生活に大きな支障がなかったことがあげられる。初代市長には吉田法晴氏(1期4年)が選出された。
【北山 譲】
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