定員を大幅に上回る学生を受け入れてきたことで豊富な資金力を得た同学園は、99年に旧岩田屋本館・新館を約205億円で購入し福岡経済界を驚かせたが、実際はそれ以前から不動産や学校法人の巨額買収を行なっていた。岩田屋の本館・新館買収は、それが象徴的に表れたにすぎない。
<覆い隠されてきた特殊性と閉鎖性>
岩田屋が経営不振から伊勢丹の傘下に成り下がるまでの間に、所有する不動産の売却で財務健全化を図ろうとした時期があった。同社は筑紫野市に自社スポーツクラブの練習拠点となるグランドを持っていた。1976年から77年にかけて取得していたものだが、これも都築学園が買収し、2万坪を超える敷地に学生寮を建設している。また目立たない物件だったが、岩田屋のバスケットチームなどが練習で活用していた中央区今泉の体育館も同学園が取得していた。こうした不動産とは別に、同学園は資金難に陥った学校法人を傘下に収めることで規模を拡大してきた。
運営する学校数を増やし、受入れ学生数を増やすことで資金力をつけていく同学園の姿は、およそ教育機関には似つかわしくないものだ。学校法人は、学校の運営を通して教育・研究を遂行することを目的としており、民間企業のように営利を目的としているわけではない。人材の育成や研究活動の成果をもって社会に還元することで、その存在価値が認められている。国や地方公共団体からの補助金が認められているのも、こうした公的な役割があるためだ。国の私学助成金という補助金を受け取らなければ、学校法人としての目的を逸脱しても良いということにはならないだろう。同学園は県や市の補助金は受けているのである。
「大欲は無欲に似たり」といった創業者の教育哲学をつづった看板が、同学園が運営する第一薬科大学、福岡第一高校周辺の電柱に張り巡らされている。異様な雰囲気を感じさせる空間だが、そう感じるのは同学園の特殊性や閉鎖性を垣間見た気になるからだろう。拝金主義的な振る舞いと教育機関としてのギャップ、また前総長のわいせつ事件に見られる閉鎖性は、拡大する組織と資金力に覆い隠されてきた感がある。だが、拡大戦略で栄華を極めた同学園も、環境悪化の波には抗えず、徐々に異形の存在としての姿が浮かび上がりはじめた。
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