<2.住友金属小倉の沿革>
(2)創業者について
浅野総一郎は明治維新後、一代で浅野財閥を築いた人物で、嘉永元年(1848)富山で生まれ、地元で事業に失敗し、明治4年(1871)上京。裸一貫から薪炭販売などの事業を展開。近代化を急ぐ日本にとってセメントが建設資材の柱になることにいち早く着目し、明治17年(84年)に官営深川セメント製造所の払い下げを好条件で受けた。これが浅野セメント(後の日本セメント、現在の太平洋セメント)の基礎となる。
また、渋沢栄一の支援や安田善次郎の協力を得て大正3年(1914年)には鶴見埋築株式會社(現・東亜建設工業株式会社)を創立し、鶴見で東京湾の埋め立てをはじめるなど、京浜工業地帯の形成に寄与し、「明治のセメント王」、「日本の臨海工業地帯開発の父」と呼ばれた。
その後浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEエンジニアリング)など多数の会社を設立。第一次世界大戦の特需を受けて一代で浅野財閥を築いたが、川崎・鶴見の埋め立て完成3年後の昭和5年(30年)82歳で死去。
【北山 譲】
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