<北九州銀行の誕生までの経緯<19> 山口銀行の北九州への進出(7)>
山口FGの福田社長は金融ジャーナリストの富樫直記氏の金融論に沿って、証券業務やカード業務を展開。その金融論の最終章として「北九州銀行構想」が打ち出されたといわれている。富樫直記氏の金融論に沿って設立されたワイエムセゾン(株)は、4年足らずで休眠会社となっており、その二の舞になりかねない「北九州銀行」設立を危ぶむ声が銀行内部からも聞かれるという。
証券業務においても福岡銀行は、地元を地盤とする前田証券をグループ化。福岡銀行と提携している広島銀行も地元のウツミ屋証券と共同出資した「ひろぎんウツミ屋証券」を設立し、証券業務を取り扱っている。これらの動きに対抗するために山口FGと西日本シティ銀行は、ともに大手の東海東京証券(名古屋市)と折半出資してそれぞれ「ワイエム証券」、「西日本シティTT証券」を設立している。
「北九州銀行設立」によって、北九州市内では、融資や預金獲得競争だけでなく、「北九州銀行」、「福岡銀行」、「西日本シティ銀行」による三つ巴の証券業務の闘いにも目が離せなくなる。
【北山 譲】
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