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「電力の鬼」松永安左エ門の瞳に今の電力体制はどう映っているか(6)
脱原発・新エネルギー
2011年9月12日 07:00

 現在、発電に関する新エネルギーについての議論が盛り上がっている。ではそもそも、現在の電力体制はどのような歴史を辿ってきたのだろうか。ここでは、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(まつなが・やすざえもん、以下松永)の生い立ちから電力事業への関わりまでを見ることで、改めて電力体制のあり方について再考する材料としたい。なお、今回の取材にあたって、「壱岐松永記念館」管理人の定村隆久氏に、事実関係の確認や画像使用などの件でご協力いただいた。以下、定村氏の言葉を交えながら、松永の人物像と電力会社の歴史に迫ってみよう。

<人材不足のなかで再浮上>

 第二次世界大戦後、戦災により国民総生産は10年前の60%前後にまで落ち込み、復興のために深刻な電力不足をどうするかが喫緊の課題となった。同時に、戦後の電力供給体制の再編が政治問題として浮上した。占領政策上、日本発送電の民営化が課題になると、1949(昭和24)年秋に電気事業再編成審議会が発足し、74歳の松永が会長に選出された。

松永の業績を伝える記事(『日経新聞』1999年1月4日号) 松永は戦時中、「電源の開発会社と卸会社と小売会社を別々にすると、経営としては責任体制が取れない。一貫経営をしなければ、責任が誰に、どこにあるかわからない。経営者の努力と奮闘で企業が成り立つのが本当の姿だ」と思案をめぐらせていた。電力事業を国が管理することを嫌い、民間に権限を取り戻す活動を始めた。
 当然、日本発送電側は独占体制を守ろうと画策したが、反対の声を押し切り1951(昭和26)年、9電力会社への事業再編(9電力体制)を実現した。ここまでの暗闘たるや、すさまじいものがあったようだ。

 「松永翁が会長に選ばれたとき、彼に匹敵する人材はほとんどが戦犯になっていました。なぜなら、たとえば小林一三が東京電力(旧・東京電燈)を国に供出する代わりに第2次近衛文麿内閣の商工大臣になるなど、ほかの電力会社の社長が国の役職につられていたからです。昨日まで国家統制反対だった松永翁の仲間がそういう感じでしたから、忸怩たる思いだったでしょう。
 松永翁も近衛首相から、東邦電力を供出する代わりに大蔵大臣になってくれと言われましたが、『戦争に協力なんかできるか!』と一蹴します。そのうえ、『東邦電力から日本発送電には幹部社員を出すな!』とも言っています。明確に戦争に反対したのです。そのせいで自分は引退を余儀なくされてしまいましたが。

 その関係で、終戦後は人材がいませんでした。吉田茂首相としては、本当は三井系の小林さんに電気事業再編成の会長をさせたかったはずですが、そういう事情で小林さんを選べませんでした。そこで、吉田首相がブレーンの池田成彬さんに相談したとき、池田さんは『国民を敵に回して耐えられるのは松永安左エ門しかいない』とアドバイスしました。そこで仕方なく松永翁が選ばれるわけです。
 委員は5人でしたが、ほとんどが松永翁の民間移行案に反対します。しかし、『この方法が日本にとっては一番だ』ということで、とにかく最後の最後まであきらめないのが松永翁の真骨頂で、政界、財界、GHQまで説得してまわりました」(定村氏)。

(つづく)

【大根田 康介】

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