<止められた銀行融資>
平山は狼狽した。中内からの圧力か?
そう思いつつ他社を当たることとした。
しかし、どの大手に当たっても結果は同じだった。あるゼネコンなどは、ダイエーさんからは鹿児島で100億の仕事を受ける予定ですので、といい、露骨に圧力が存在することを示唆した。そして中堅以下のゼネコンでは、工事代金の竣工後払いを呑むほどの体力はない。こうして、トリアスは着工すらできない状態におかれることとなった。
同じ頃、平山がダイエーから引き抜いたトリアスの財務部長のもとに、相次いで福岡の地銀3行の支店長が訪ねてきた。彼らも一様に以下のように述べた。
「すみません、今回のバリューセンターの開業資金ですが、ご融資ができなくなりました」
と、銀行支店長。
「なぜです。もう審査部も間違いなし、と言われていたのに」
「それがどうしても審査が通らなくてですね。機関決定ですので、希望に添えず申し訳ありません」
地銀3行は、ダイエー子会社のツインドームシティのドームとホテルにそれぞれ融資を出し、今後も同社の第三フェーズの開発に資金を出すことをねらっていた。
当時はまだ銀行にとってダイエーはいいお客様だったわけだ。このため、ダイエー側からの申し入れ、それも中内の強い意思に基づく申し入れを呑み、トリアスへの資金を遮断したのだった。大手の某銀行は、バリューセンターとまったく関係ない久山町の第三セクター会社から撤退するまでしている。
このようにしてトリアスは、中内ダイエーの妨害工作により資金を断たれ、まだ着工すらしていないのに存続の危機にさらされることとなった。
悩んだ末、平山は本藤に相談し、トリアスに新たなスポンサーを迎えることで何とか開業までこぎつくことを考えた。ターゲットは、キャッシュリッチながら本業が限界を迎えつつあり、今後多角化を進めようとしているような相手先である。
いろいろな相手先にアプローチした結果、島原エリアをルーツに持つヤマックスと宅島建設という会社が浮上した。本藤も長崎県内で仕事をしてきたなかで、これらの会社を知っていた。
【石川 健一】
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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