現在、発電に関する新エネルギーについての議論が盛り上がっている。ではそもそも、現在の電力体制はどのような歴史を辿ってきたのだろうか。ここでは、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(まつなが・やすざえもん、以下松永)の生い立ちから電力事業への関わりまでを見ることで、改めて電力体制のあり方について再考する材料としたい。なお、今回の取材にあたって、「壱岐松永記念館」管理人の定村隆久氏に、事実関係の確認や画像使用などの件でご協力いただいた。以下、定村氏の言葉を交えながら、松永の人物像と電力会社の歴史に迫ってみよう。
<根拠のない"安全人話">
松永は民間の手に電力事業を取り戻したあと、今後の発展を予測し電気料金の値上げを断行したため、今度は消費者からも多くの非難を浴びた。こうした強引さから、松永は「電力の鬼」と呼ばれるようになった。松永は、1971(昭和46)年6月16日に96歳で亡くなるまで、官僚嫌いを貫いた。叙勲も「ヘドが出る程嫌いに候」(松永の遺言状)と固辞している(結局は池田隼人に頼まれた新日鉄会長の永野重雄氏が1日がかりで本人を説得し、息子の安太郎が代理で受け取っている)。
時は移って現代。奇しくも松永没後40年に東日本大震災が起こった。とくに今、原発問題がクローズアップされているが、松永も原子力について言及している。「昭和40年頃、松永翁へのあるインタビューのなかで、日本も原子力発電はもうすぐですかという質問に対し、松永翁は『いや、まだまだ先だよ』と言っています。それはどうしてですかと聞き返すと、『日本はプルトニウムを繰り返し、繰り返し、使えるようになるまで安全性を確認すべきだよ』と言っています」(定村氏)。
松永は原子力を「技術」として捉え、産業発展には必要だとしつつも、「問題は扱う『人間』だ」と指摘している。まさに、今回の原発事故が「人災だ」と評されることをまるで予見していたかのようである。
発送電の統一と民間での管理がもっとも合理的だと考えた松永。当時、それは間違っていなかった。事実、9電力会社は配電インフラを築き上げ、日本中に光を与えた。しかし一方で闇の部分、つまり大企業の組織病の最たるものとも言える「官僚化」が進行した。組織硬直化だけならまだしも、松永がもっとも嫌った官僚を天下りさせ、政・官・電の癒着構造を営々と築き上げてきた。これは果たして松永が望んだ姿=結末だろうか。
我々日本人は、こうした先人の歴史を忘れつつあるのではないだろうか。いや、むしろ「安全神話」という根拠があいまいな"安全人話"(=人が創った神話)で、歴史の暗部を包み隠してきたのではないだろうか。松永、そして電力の歴史を辿ることが、今一度日本の電力事情のみならず、国家のあり方を再考する材料になれば幸いである。
【大根田 康介】
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