東日本大震災が発生した3月11日から半年が過ぎようとしている9月10日、鉢呂吉雄氏が福島視察における「死のまち」などの言動で経済産業大臣の職を辞した。いまだ福島第一原発事故が終息をみないなか、原発を所管する経済産業省のトップが9日も経たずして代わる。我々国民の失意も大きいが、同原発事故へ世界が注目しているなかでの鉢呂氏の失態は、日本の政治に対する国際的信用をも損なわしめた。
一方、古川康佐賀県知事は、九電メモの内容について「真意ではない」などと一貫して否定するものの、九電幹部と会談した際に、原発の話を持ち出したことは軽率であったと反省している。しかし、たとえ本意でないにしろ、そうとも受け取られる内容の話をして誤解を招き、結果的に情報操作(やらせ)が発生したのならば、十分に責任はある。鉢呂氏と同様、自覚がないのかもしれないが、公人である大臣や知事の発言は非常に重いものである。しかも今、原発問題は「そういうつもりじゃない」では済ませられないほど深刻なものとなっている。
佐賀県を取材した際に耳にした地元有権者の言葉は、原発立地自治体の現実を如実に言い表していた。「九電のおかげで今の佐賀がある。古川知事は『今後、距離を置く』というけれども、到底できるとは思えない」と。地域社会のなかでめぐっている「原発マネー」という"血"を、代わりもないまま一気に抜くことは現実的ではないという見方だ。
すでに調査報道サイト「HUNTER」が次々と明らかにしているように、古川知事や県議会議員など佐賀県の政界にも原発マネーはめぐっている。この、電力会社を実行部隊とする統治システムを真に問題ととらえ、脱却を図らなければ、『やらせ』や『情報隠蔽』のような"現象"は今後の原子力行政において、たとえ人が代わっても断続的に発生する。ある意味、それも「原発リスク」と言えるのではないだろうか。
【山下 康太】
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