―「住み分け」と「官民協働」、どちらも「九州はひとつ」という視点を持ち、全体のための役割をそれぞれが意識していくことを前提とします。
濱口 今まで九州の異なる場所で同じような街をつくり、規模は違えども「ミニ東京」を目指してきました。どこへ行っても、お店は同じ、建物も同じ。考えようによっては、ある町に1年365日のうち毎日は使っていない施設があれば、お隣同士でシェアして使ってもいいわけです。「ミニ東京」をいくつつくっても地域は活性化しないし、独自のまちづくりを考えていかないと今後、道州制になっても、その自治体は逆に経済規模が縮小し取り残されていくと思います。
道州制の先には、今以上に大きくなるところもある一方、小さくなるところもでてきます。今度は道州制という枠組みのなかで「福岡に集まろう」ということになる。そうならないためにも、オンリーワンのまちづくりをそれぞれが考えていかなければなりません。それは決して企業誘致だけではなく、文化、歴史も含めて考えていくべきです。
松尾 私が県議になって感じたのは、官僚的で縦割りな県の体制です。ひとつの事例をあげれば、子どもたちに読書の機会を与えようという福岡県の「アンビシャス運動」という取り組みがあります。それとは別に社会教育課で、教育の一環として「読書リーダー養成事業」という同じものを行なおうとしている。異なる部局同士でコンセンサスが図られていないわけです。
この一例から察するに、国政においても、各省庁がその存在意義を保つための「保身政策」と言うべきことを往々にして行なっているのではないでしょうか。国政で各省庁がやっていることを県でもやり、各市町村でもまったく同じことやる。そして、隣接した自治体でも同じことをやる。いったい"行政のムダ"はどれくらい重ねられているのかと。
先ほど濱口さんが言われた通りで、同じような"金太郎飴政策"が春日市、大野城市、那珂川町の2市1町でも行なわれています。たとえば文化センターでは、春日市は600人収容、大野城市は783人収容、那珂川町は820人収容とほぼ同じ目的、同じ規模の文化センターです。そうではなくて、これからは3,000人規模のホールや1,000人規模、500人規模と各々が収容規模を分けてシェアしあうような広域行政を行なわないと、財源がいくらあっても足りない時代が来ると思っています。
ただし、社会基盤の整備には必要なものもあります。ひとつの例をあげれば、子どもや高齢者、身障者の方が多く利用される小中学校や図書館、福祉施設などの公共施設の隣接道路には、「ハンプ道路」という高さ10〜15㎝のなだらかな段差を設けた道路にする。これは、車がスピードを出せば車体が路面に接触することで速度の低下を促します。そういう社会的に必要なものへ、近隣市町同士が類似したハコモノ行政で使うお金を回すべきではないかと考えます。
濱口 民間では、マンションで車をシェアするところも出ていますね。それと先ほど税収の話が出ましたが、今、外需は時々の状況に左右され、一方の内需はデフレで厳しい状況にあります。そのため、税収は落ち込んでいます。今年もほとんど国債で賄ったような予算を組んでいますが、今後、バブルも来ないような状況では、税収もますます限られてくる。そのことを考えれば、私は、公務員の給与体系を、国も県も生活が保障できる基本部分は固定として、それ以外は税収に連動するかたちに変えていくべきだと考えています。
また、今の予算のうち余った分が次年度から削られるという「使い切り予算」ではなく、逆に「残して繰り越すほうが立派な行政だ」という価値観に変えていくべきです。単年度主義ではなく繰り越しができる予算編成に変えていかないと、限られた税収のなかで有効的に使っていくということにはなりません。現状を放置していると、ますます国力を落としていくのではないかと思っています。
【文・構成:山下 康太】
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